表面だけが乾いたカップラーメンの汁の中で死んでいる虫、乱雑に切られたホールケーキの茶色のいちご、そこらに転がったコンドーム。ワンルームはまったく大変なありさまだった。
カーテンは冬の熱のない太陽を透かしている。水玉模様だと思っていたのはただのかびで、もう何年もあたらしい空気の入っていなかった部屋に影を投げかけている。
どんなものも考慮せず、あるままに部屋を横切る影。理由はそこにはなかった。どこにもなかった。この部屋にはなにもない。死体以外は。
物音ひとつしない。だれも喋らない。みんな死んでいるから。それがよりいっそうすべてを悪くみせた。
メンバーのひとりが、失踪した日は空があかるかった。それだけ覚えていて、それ以外はなにもかもがぼやけている。監禁されていると知ったとき、もうだれもいなかった。ひとりしかいなかった。みんなどこか遠くへ、追いかけられないほど遠くへ、あかるい空の向こうに。
この部屋の扉を開けたとき、母の葬式のことを思い出した。式場のあの、天井の模様。献花台、香典、数珠、それから。母のにおい。死体の匂いだった。
靴のまま踏み込んだワンルーム、ソファの上で男は腰を振っていた。ばかみたいだ。
外からこどもの笑い声が聞こえる。椅子に座ったままの身体が痛い。日が暮れていく。息を吸うたびになにもかもが嫌になる。バイクが勢いよく通りを走り抜けた。頭が痛い。脈動に似た頭痛と椅子の軋む音はおなじリズムだった。
ばかみたいだった。だから、殺した。それも言い訳なのかもしれない。
すべて無駄だったという思いと、この数年間に失い続けたものたちに突き動かされて、気付けば男は死んでいた。かつての仲間も、この部屋に埃が積もりきるよりも前に死んでいた。かろうじて顔が分かるかもしれない程度だった。
涙さえ出ない。もう疲れた。
死にたい。
いつも思い出すのは、新曲のデモを聞いたときのことや、わずかな演奏のほつれや、あふれるような笑い声だった。
失ったものばかり思い出している。なにも言わず、なにも聞かれずにだれかと泣きたいと思った。もう、だれもいなかった。
包丁を持って走り出した脚は気付けば止まれなくなっている。
それから、もしもの明日を考えた。あのとき、ああしていれば。こうしていれば。
祈りだった。あるいは懺悔。
「りおんちゃん、ののかちゃん、はるくん、いのまえくん、…僕」
戻りたかった。
あと1回、あともう1回だけでいいから演奏したかった。笑顔の中に埋没して昼も夜もなく浮かんでいたかった。あのかがやかしい人生に戻りたかった。
冬の太陽が死んでいく。視界が暗くなってきて、部屋の臭気が耐えられなくなってくる。ひとりでは堪えられそうもない。
握りしめていた手のひらは驚くほど白い。あのころの、楽器によって作られるタコはもう跡形もない。みじかい爪のあいだに、血がこびり付いていた。
汚い。べたべたする。手を洗わなくてはいけない。そうしたら、そうしたとしても、することはもうなにもない。
洗面所に向かおうとした身体が、ベランダにひとりでに向かっていく。窓はひらいて、なにもかもを許してくれそうだった。
夜空があかるかった。
すべてはそれだけだった。