最近Claude Maxを契約したので、本格的にagentic codingをはじめた。直近で大小含め3つほどossとして公開しており、これらはすべて、殆どのコードをClaude Codeに書いてもらっている。
基本的にはVSCodeのターミナルでClaude Codeを起動しながら、一生懸命やりたいことをプロンプトで伝えている。伴走しているという感じではなくほぼClaude Codeのやりたいことをそのままやらせて、その後自分がレビューで感じ取った違和感をplan modeでフィードバックしたり、mizchi/similarityを用いてリファクタさせたりする。
ずっとagentic codingしていると、自分の中のコーディングに対するメンタルモデルが徐々に変化してくる。例えばレビュー中に型やlintのエラーを見つけた時(特にClaude Codeはすぐas unknown asでテストモックを破壊してくる)、簡単に直せるにも関わらずプロンプトで修正を指示してしまう。
自分の頭の中で瞬時に構築された修正プランを、手を動かして反映するというのが面倒になってきている。しかし、ここはこうだからこのアサーションはおかしい、直せと打つのはできる。具体的なコードを頭からエディタへ投影することよりも、頭の中にあるコードと同じ目的を達成するコードを生成させる方が楽だと感じるようになった。
いまではエディタを開き、1行の修正を行うことすらClaude Codeにプロンプトを投げることよりも面倒に思えてしまう。コーディングのメンタルモデルがagentic firstになった。
あらゆるタスクがagentic firstでないと面倒
AIの登場で大きく変わりつつあるのがノーコード界隈であるのは皆さんご存じだと思うが、自分も興味がわいたので色々と触ってみた。
国産のノーコードエディタ + CMSであるStudioをはじめ、同系統のツールであるFramer、そしてagentic firstでReactアプリケーションを生成するv0とbolt.new。
StudioとFramerを触り始めた時、最初に感じたのは「めんどうだな」と「よくわからない」だった。figmaやSketchを思わせるUIと無限平面が目の前に置かれ、おそらくここからブロックを配置してwebページを作るんだろうというのは理解できるが、脳が考えることを拒否した。
v0やbolt.newのサイトへ入ると、まずプロンプトを入力するチャットUIが置かれている(bolt.newに関してはチャットUIしか置いていない)。言えばできちゃうのか!?という期待がわいてきた。
タスク実行・操作を直観的に、簡単にできるようにすることもうれしいが、無からそれをやるには苦痛が伴う。agentic firstな世界では、自分の代わりに始めてくれることが要求され、v0やbolt.newはそれを体現している。
Claude Codeを使えば使うほど、なんで俺がやらなきゃいけないんだろうというマインドにさせられる。いずれ、日常生活のタスクも浸食されていくのかもしれない。