時間や金に追われている状況では模倣することしかできない

ushironoko
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模倣と追究という2つの軸があるとする。模倣はお手本となるものを暗記したり真似たりして、クオリティの担保されたものを生み出す。仕事において模倣はパターンだったり理論だったり、さまざまな場面で有効に働く。

単純に公式ガイドの言っていることに従ってコードを書くのも模倣のうちに入るだろう。精度の高い模倣は積み重ね・組み合わせによってより良い成果を生み出す。

一方で、追究には新しいものを生み出す可能性がある。模倣元に対して疑問を持つことで、さらに効率の良いやり方を発見したり、まったく違う角度から切り込んで拡張したり、イノベーションを起こしたりできる。

しかし、追究するには膨大な時間が必要で、時間に追われるような生活からは生みだすことができない。日常の可処分時間から捻出する人もいるが、ほんのごく一部だと思う。

仕事や遊びにおいて時間をかけて高みへ到達できる人間は、追究に対して余念がない人が多い。そして、そのことをちゃんと自覚している。模倣をすれば結果は出るが、一定のレベルで頭打ちになる経験があるからかもしれない。

どれだけ自分を追究の身に置けるかは、長期スパンで効いてくる。模倣に慣れきってしまうと、中長期の取り組みができなくなってくるのもおそろしいところで、これを払拭するにはやはり、まとまった時間を確保するしかない。

時間があるというのは存外に強力で、模倣で金を生み、追究する時間を確保するのは一見コスパが悪いように見える(時間の使い方は色々ある)が、その実良いサイクルを生み出せることも多い。つまり、模倣が金を生み、金が時間的余裕を生み、時間が追究を生み、追究は模倣のレベルを底上げする。金か時間、どちらかが不足していると、追究に入れないためサイクルが回らない。

生まれた時間をしっかり追究に充てなければ、良いサイクルにはならない。しかし、仕事は減ることがないというのが世の常で、中々サイクルへ入れないのも事実。難しい。