大人になるとは自分の血肉になったものを捨てていく事

ushironoko
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ラジオでそういう話があり、良い考え方だなと思ったのでまとめ。

例えば自分を形作るものといえばポケモンや遊戯王で、もちろんトークの中にあるドラえもんもそうだ。

時代が進むにつれて、これらは若者に再消費される。それが例え自分が経験したあの頃とは違う消費のされ方であっても、それを受け入れなければならない。

俗にいう思い出補正などとも関連するだろうが、やはり自分を形作ったものを捨て、新たな形を受け入れるというのは難しい事だ。なぜならそれは、自分の思い出を他者の消費の形で上書きするという事であり、思い出の更新だから。

しかし、それを怠り自制できないでいると老害やモンスターになってしまうのではないか。その恐怖感に比べれば、血肉を捨て思い出を上書きするのを受け入れるのも満更ではない気もする。

遊戯王は昔のルールを「ゲートボール」と称して若者に遊ばれている。最初はそのワードにムッとした。ドラえもんの話はラジオの中でもあったが、スタンドバイミードラえもんのエンドロールの演出は確かに受け入れ難かった。

ポケモンもいずれサトシやピカチュウを再解釈する事になるだろう。果たして自分はそれを受け入れられるだろうか…できなければ時代に取り残されるだけだが。