ChatGPTがGPT-3.5で世に出た時、まあこんなもんかと皆思っていた。GPT-4で大幅に体験が変わって、URLを渡すと記事を要約してくれるっぽいぞ!?という噂が広まった(URLからそれっぽい文章を生成してるだけだった)。
GPT-4にweb検索の機能が付き、GPTの知らないことを勝手に調べてくれるようになり、最新情報へのアクセスが格段に上手になった。そして、翻訳業においてはもはや完璧に近い精度で動き、翻訳ツールや人間による翻訳業務が過去のものになった。
o1がリリースされて以降、結果を反復的に思考することで時間がかかるがよりテクニカルな仕事までこなすようになり、さらに時間を与えることでより広範な情報をリサーチしてまとめられるようになった。
2025/6現在では、自分より圧倒的に手数が多く、エラーフィードバックからのtry&errorとタスクリストベースの実行計画により要件を確実にやり遂げるclaude 4 opusやo3のようなモデルの動作を目の当たりにして、いちソフトウェアエンジニアとして見て、ようやく「頼ってもいい相棒」としての現実味を感じられるようになった。
今やURLを渡せばその本文のみを余計な要約やハルシネーション無しで正確に翻訳し、自身で実行計画を更新しながらフィードバックループを回し、レスポンスフォーマットを巧みに操り要求へ答えることが当たり前のようにできている。
この間自分は生成AIを低コストで使い続けているだけだった。特に努力したわけでもなく、勝手に生成AI側がものすごい速度で実用的になっているだけだ。
その代わりといってはあれだが、支払うコストは上がり続けている。だが当然のように思える。だって我々は何もしていないのだから。そして、そのコストに見合う(どころかはるかに便利になった)生成AIを今後も口を開けて待っていれば使い続けられる。世界は自分が努力しなくてもすごい速度で進化し、自分に恩恵を与えてくれるようになった。