自分が良くなろうとしてる時、それを否定しようとするじぶんがいるの不思議。
ここ1〜2年、いろんな変化があった。パートナーが再就職して、保育園の送り迎えが日課になり、毎日17時から21時過ぎまで注意散漫で想定外だらけの家事をして、寝かしつけから這い上がって、仕事をしていた。
最低限のタスクもままならないほどぐったりしているところに、アドレナリンを無理やり出してタスクを終える。クタクタなのに覚醒してしまった脳みそに怠惰な快楽物質を送り込みたくて、YouTubeのリール動画を延々と見ていた。その結果。睡眠時間が削れて、また疲労する悪循環が生まれていた。
加えて、育児家事をしてる時にはとにかくイライラしてしまう。子どもたちが可愛いと思えず、泣いたりした時の金切り声には脳を両脇からガリガリと削られるような感覚をおぼえる。
同時にあったのは、もっと仕事したい、本を読みたい、自分の考えていることをまとめて、形に残したい、というワーカホリック的な欲求だ。
これに対して、最近いくつかの工夫をした。
まず、SNS全般とYouTubeにスクリーンタイムを設定して、1日1時間以上見られないようにした。
そして、パートナーに相談をして、寝かしつけを任せて19時半から21時には仕事を終わらせるようにした。
さらに朝6時におき、肩甲骨ストレッチをやるようにした。
そしたら、すごく良くなっている。仕事を終えて、ちょっと総合格闘技の試合とかYouTubeのボクシング解説動画とか見てなかったやつ見て、パタンと寝る。
すると翌朝はいままでよりもスッキリ起きられる。仕事でのパフォーマンスも、なんだか上がってる感覚がある。創造性を発揮できているように感じる。子どもにもイライラしない。
この10日ほど、「あれ?なんか調子いいな」とパートナーとも話してる。パートナーも嬉しそうで、「よかったじゃん、この調子だね」と言ってくれる。
不思議なことに、この良くなりつつあるじぶんがなんだかちょっとだけ居心地が悪い。自分は幸せにこんな感覚で日常を過ごしていいんだっけ?もっとドロドロした苦労の中にいて、生を削ってる感覚、なくていいんだっけ?
いや、なくていいだろ!というツッコミも機能しないほど、心のどこかで真剣に「自分はもっと不幸であるべきでは?」と思ってしまっている。
なんだろうこの感覚は。変化することが怖いのか。
良くなってる自分を認めて、認めて、良い状態のなかに勇気をもってい続けたいと思うなどする。