※この記事はほよばーすさんの提供されている「原神」というゲームを約1年でなんやかんや結構やったひとによる約1年間のぼんやりとした感想をまとめただけの記事です。
※当たり前にネタバレを多量に含みます。
※非常に個人の見方に偏った感想です。特に深い考察とかはないのでゆるい気持ちで読んでください。
◆最初に
唐突なんですが皆さんゲームが好きですか?私は好きです。
そんな私ですが、2024年の4月19日だかなんだかに「原神」をはじめました。以前から友人にプレイしてよと言われていたんですけれど、いろいろな理由があってやっていなかったのを、まぁそのいろいろな理由のいくつかがなんとかなったのでちょっとやってみようかなと思った次第です。
やってみようかなと思った理由のひとつに、ライトな雰囲気のオープンワールドのゲームがめちゃめちゃにやりたい期だったのはあります。なので、すすめられていたにも関わらずほとんどゲームの内容は知らず、キャラも数人PVを見たことがある…程度の知識から、ライトそうなオープンワールドのゲーム、それにもう4年くらい続いているものだからコンテンツもかなりあってしばらくはこれで遊び倒せるんじゃないかと軽い気持ちではじめました。まぁ、あの、見ての通り1年で特にオープンワールドの部分はほとんどやっちゃったんですけどまぁそれは置いておいて。
結果として、個人的にかなり面白いゲーム体験ができているなぁと実感しているため、備忘録としてその感覚を残しておきたいなぁと思い、これをかくに至っております。いろいろ残しておきたいことがあるので、どれもこれも長い記事になるかと思いますが、もし読んでやんぜという方がいたらのんびり暇なときにでも見ていっていただければと思います。
◆現時点の総評
いきなり結論から話すんですか?って感じなんですが、この記事を書いていることからもお判りいただける通り、めちゃめちゃ楽しくプレイしています。ですが、こう、はじめにプレイしよう!ってやり始めたときから、ギャップというか、「なんか思ってたんと違うな???」感には溢れていて、むしろそれがすごく面白いと思っている、みたいな感じではあります。
このゲーム、概ね外見(そとみ)もちょっとストーリーやキャラやシステムを触った感じもそこそこに「ライト」で、対象年齢層も若年層を中心に広めに設定してあると思います。でも外見(そとみ)といった通り、ライトそう(なおこの「ライトさ」というのは主に特別な表記や表現の注意書きなどをあまり必要としないことや、表現としてあまりよくないとは思うんですがいわゆる「子ども向け」を少し意識したようなつくりという意味でそう言っています)に見せている、というのが本来で、ただかといって「蓋を開けたらヘビー」とかそういうわけでもない。いやまぁ蓋を開けたらヘビーみたいなもの自体はたくさんあるんですけど、個人的にはそういう「売り方」をしているわけではないと感じるので、これは正しい表現ではないでしょう。
このゲーム、たぶんとっても「RPG」というものに対してリスペクトがあります。
おいおいきょうだい、なにデタラメいってんだ?
まず主人公が旅人という呼称なわけなんですが、この世界、テイワットははじめてだけれど彼(彼女)自身はずっと星間を旅してきたベテランの旅人です。無論、私も多くのゲームをやってきたプレイヤーです。彼(彼女)はイコールプレイヤーではないけれど、意識を重ねやすくされていることは明白でしょう。彼(彼女)が目的のために旅をして、その過程で世界を知っていくのはプレイヤーも一緒です。新しい国や地域で新しいものに出会う楽しみやわくわくを一緒に味わっています。
旅人には「生き別れた家族を見つける」という目的があるので(このあたりはストーリー部分で詳しく話しますので軽く流しますが)、ひとところにはあまりとどまりません。この世界はプレイヤーにとっても旅をやめて帰る「家」ではありません。未知を発見する大地です。旅をする土地です。
でもこのゲームは繰り返し「旅」の終着点は「家」なのだと説かれます。この世界に住んでるキャラクターたちにとっては当たり前のようにここが「家」のある場所です。でも中には帰るべき家を失くしたものも、家を忘れたものもいます。
ゲーム内でたくさん旅をしていれば、同じところを何度も行き来することもあります。同じキャラと違うタイミングで話をしたりすることもあります。繰り返すことで、愛着が湧くことも、久しぶりの来訪や再会であったならなつかしさを覚えることもあるでしょう。或いは結構前の話になりすぎて、訪れたことも出会ったことも忘れてしまっているなんてこともあるかもしれません。
雑然としすぎているかもしれませんが、要は「そういう感覚をプレイヤーごと味わうコンテンツ」なんですよねこのゲーム。本記事、主に書き残しておきたいことの主題はほとんどが此処にあります。このゲームはかなりきっちりまっすぐにRPGとして提供されている。にも拘わらず、「なんか思ってたんと違うな」が発生するんですね。
具体例は各任務とかの話で詳しくするんですけど、この「なんか思ってたんと違うな」は一種の王道外しの文脈にあると思うんですが、でも王道外しをしていることに特に違和はないというか。体験としてRPGのまっすぐな体験の中に、想定していたのとちょっと違うなという「気付き」があることが面白いというか。その「なんだろう?」と思うところから、ゲーム内に「王道」に敷かれたレールの、その脇や見えないところに隠されていたものに「気付く」体験をするような、なんか、上手く言えないけどマジでそういうゲームです。
なので、個人的にすごく楽しんでいるけど、「ストーリーが面白いか?」という質問にはすごくすごく答えにくい。私は面白いけど、その王道に敷かれたレール自体は特別取り立ててすごく良いとか面白いという風に思っているわけではない(もちろん悪いわけではない!でも「面白い」ところは「そこ」じゃない)ので、かといってそのレールの脇を見ると面白いんだよ~などと吹聴するのもなんか違う。難しいのであります。
そしてこのゲーム、「ゲーム」という点にとってもとっても重きがある。皆さん、ゲームは好き?私は好き。ゲームはゲームであるとするというと、いわゆる「メタフィクション」ストーリーみたいなものを想像するかもしれないけど、そこまでのことを考えなくてもそもそもプレイヤーたちから見たゲーム世界はゲームの世界であります。さっき旅人を通して得る体験の話をしたけど、このゲーム、「神からの視線」とか「視線」についての話もよく出る。私たちプレイヤーは旅人を通してテイワットを観測している存在だといえなくはない。プレイヤーは旅人を通してゲームをプレイして、世界に干渉するけど、大元に触れることはできない。筋書きのあるストーリーが展開されるゲームの筋書きを変えることはできない。そうであるなら、ゲームはプレイする価値のないものになるだろうか?そんなことはないってもうすでに何度もいろんなゲームが言ってると思うけど、勿論このゲームだってそうだし、きっと未来は変えられる、未来は大事だよと繰り返されて、ゲーム内のさまざまな出来事も前に進んでいく。それでも世界はある種の「ゲーム」であることは示唆され続けている。
皆さんゲームは好き?私は好きです。このお話のいちばんいちばん大事なところです。ゲームが好きで、ゲームをやりたくてやってる人間が、この1年嬉しいゲームをプレイしていたんだなぁと思って読んでもらえたら幸いに思います。
◆魔神任務について
いわゆるメインストーリーですけど、このゲームの「なんか思ってたんと違うな??」感がある意味一番出ていると言っても過言ではないところ、本当に変なゲームだと思います。誤解のないよう弁明するんですが現行実装されているストーリーはどれも絶妙で面白いのですが、前述したとおり「面白い」ところは「そこ」じゃない感には溢れていて非常に難しい。なんとかうまく語れると嬉しいんですが。
・序章 モンド
序章にあたるモンドという国の話。西洋を思わせる牧歌的ながらも朗らかな国を襲う龍と、それを鎮める英雄たちの話…と、筋書きだけ見れば王道だし、実際話もそんな捻くれた話というわけでもありません。実際序章をやっただけだとそこそこ普通に終わったな~くらいに思えるのかもしれませんが、私はやったときから「なんかちょっと変な話だな」と思っていました。理由は主に二つあって、一つはまぁRPGでおきまりといえばおきまりの「ストーリー内で該当地域をあちこち歩き回る」という点、そして「協力してくれる仲間たちの会話」にありまして。
ひとつめの方は、実は序章の終わりでウェンティが言ってくれている「旅を楽しんで」によって補完されます。「そのくだり必要だったのか?」というちょっと回りくどさもある行動を挟む場面が幾つかあるけど(勿論ストーリー的には何かをとりにいったとか意味はちゃんとあります)、それらはストーリーのテンポや面白さよりも「なぜそれが必要な行動だったか」に焦点があるからだと思います。そしてふたつめはここから派生して、「彼らは間違いなく彼らの意志でストーリー上の役割を担っているが、それはそれとして彼らは『役割のためのひと』ではない」ということ。これ、一緒に行動するジンもディルックも責任感が強くモンドを守る誓いを持った貴族であることも含めて味のある話だと思います。決して彼らはその立場や役目とイコールの人物像ではない。
要するに悪い言い方をすると、かなり冗長!とかそれ必要なやりとりだったのか?とかがかなりある。これが実にモンドで顕著なんだけど、でも実際「旅とその道連れってそんなもん」なんですよねという風に納得できるのがウェンティの言なのです。起きたこと、成し遂げたこと、要は目的を果たしたことだけが大事なのではないということ。モンド人は自由で、彼ららしく言葉を挟んで行動もしているというのが、序章が終わったあとにゆっくり効いてくるのがこのモンドという国の面白いところだと思います。親しみを込めて変な国!と言いましょう。変な国!
・一章 璃月
実は魔神任務の中だとこの璃月編が一番好きです。げんしんのストーリーの面白さの骨頂が既にここにあります。
モンドで神様と行動したあとの、神が直接統治している国と説明された場所でのファーストインパクトが神の暗殺なのは面白すぎるでしょう。やりたいことがストレートなのにこの時点でどうなるのかとドキドキさせられるのはすごい。
実際、最後までやってもこの岩王帝君暗殺自体にはそこまで焦点が合わないのがまた面白い。6000年璃月を統治した神が不在になることへの不安や、各勢力の睨み合いが心配になる中、鍾離という葬儀屋の一人が帝君の葬儀をしたいと言い出す。そして旅人の主な行動がこの葬儀の準備なのもかなり不思議だ。ちなみに、この葬儀の準備が璃月各地に行く理由(ゲームのメタ都合)の一端も担う。
このストーリー、途中の璃月七聖、ファデュイ、仙人たちの睨み合いと最後の魔神討伐のくだりが派手で印象に残りやすいが、私はこの「葬儀」を最も深い印象として残している。璃月の話は、最後は暗殺された...もとい死を偽装した岩王帝君本人の語りによって締めくくられる。私はこの語りにかなり良い衝撃を受けた。
私はもちろん6000年も生きてないしその間ずっと璃月という国を守り続けた岩王帝君の気持ちは全然わからない。でもわからなくとも岩王帝君「本人」が自分の物語を語るのを聞き、少なくとも旅人の目を通して彼の近くで彼が弔おうとした「岩王帝君」を見たのだ、という衝撃が、この最後の語りに詰まっている。この、「本人が語る」ことの重要性はこの先特に伝説任務などでジワっとくるわけなんですが、それを一番最初に感じたのがこの璃月魔神任務の最後なのでした。この語りを聞くためにやってもお釣りがきます。言い過ぎ?そんなこともないやろ。
余談ですが、岩王帝君と凝光さまの関係がわりと好きです。魔神任務内で凝光さまが語った内容も好きだし、のちに鍾離先生のボイスにある凝光さまへの言及で、彼女が裸足で行商をしていた頃から知ってると時の流れを語ること、なんか全てがジワジワ私を刺してやまないところです。今となっては特に関わりもない、凝光さまに至ってはちょっと警戒もしてるというのもいいですよね。国の中にある人と人の関係としてかなりいいなと思っております。
・二章 稲妻
私のXをフォローしてるひとは知ってると思うんですが、私は稲妻のストーリーをやっている間ずっと梅干しを食べたみたいな顔をしていました。これは私が梅干しが苦手なことに起因した表現なんですが、でも決して嫌いとかでもないというか、まぁその難しいニュアンスを伝えるために梅干しというしかなかったという経緯はおいといて。
稲妻の話は最初から最後までなんというか、雷電将軍(影ちゃん)みたいな話なんですよね。彼女、梅干しじゃないですか?(?????)もちろん彼女には彼女の過去の経歴と諸々の考えがあって様々なことをしているんですけど、永遠の考え方はシナリオ中ずっと理解が示せなくて困難でした。
でもその梅干し感が稲妻の味として納得というか、味わい深いんですよね。これは世界任務とかも併せて見ることで強くなる感覚なんですが、魔神任務だけでもこの稲妻という国の閉塞感とストーリーの展開は齟齬がなくて、でもだからこそこの永遠のための施策と理念が、未来と願いに彩られた人々とぶつかった結果というか、結論を出すのは非常に難しいところだったのではないかなと思います。だって雷電将軍は正しいんですよね。雷電影が求めた永遠は責任のあらわれでもある(ある意味最も彼女が強い願いを以て人の上に立ったまさしく稲妻の「神」であるところ、なかなか好きです)。人の願いや欲望の結果がファデュイにつけこまれた点でもある。でもそれが無謀な戦いに勝利を齎す一端を担う。
だからこそ魔神任務自体の終わり方はかなりモヤっとしているというか、モヤっとしていることに納得のある話運びではあったという意味で梅干しという表現になっています。稲妻魔神任務というか、雷電影というキャラクターは彼女の伝説任務まで見てようやくひとつの帰着を見せるものではあるんですが(眞のいう永遠の解釈もまた難しい解釈なので個人的にはやっぱ難しくない!?となるわけなんですけども)私はこの梅干しみたいな雷電影のことを味わい深く思っていたので、伝説任務まで終えた雷電影のことをよかったなと思うし今の影ちゃんは梅干しではないなと感じるんですが、そうなったことにちょっとした残念さもあって、そう言うところも含めて薄曇りの景色なげんしんの話だな...と思っています。
・間章1
げんしんの話、家の話が多いな...とぼんやり思っていたところにやってきた間章1。家の話というか、家とは概念でして具体的な場所やどういうところかなどは人によって違うものなのですが、「人の帰属意識」みたいなものを強く感じたのがこの話でした。要は「私はどこに所属している人間なのか?」という、自分の正体とか立ち位置とか、居場所とかに関わる話ですよね。
魔神任務一章で人の手に委ねられた璃月で、俗世から離れながらも岩王帝君との契約をもとに璃月の発展や人々の守護を担っていた仙人たちも変化を求められていたと思います。申鶴は俗世を知らないのでそのビジョンもなかった中に、彼女の物語だけど彼女の物語ではないものを聞いてそれを良いとしたことと、本人の言をきいて物語から未来への希望、ビジョンを描き出して演じた雲先生の「関わり」が非常によくて、前向きな人間社会への参入と納得と、国を守るという意識、愛国心みたいなものがどう生まれるか、ほんの芽の部分を見たような気付きのある話だったなと思います。創作が描いた未来への希望という点も実にいいですよね。まさにその創作の元になった申鶴本人に見てもらいたかった雲先生からの祝福すぎて。めちゃめちゃげんしんらしい話だと思います(このゲームはゲームでRPGをまっとうしているという話)。
・間章2
層岩巨淵いいですよね って話は世界任務周りの話で詳しくするんですけど、この間章2の閉塞感めちゃめちゃ独特でいいですよね。心理的宇宙的閉鎖空間ホラーの文脈すぎてやってるとき結構ウケてたんですが、話は最後まで骨太というかこのホラー文脈をきっちり希望で昇華していて剛腕を感じます。
メンツの面白さが本編内でも言及されている通り、500年前の層岩巨淵の話と被せて、脅威や異常事態に際して様々な立場のものたちが協力と譲歩と調和をしあうこと、そして未来を憂い現状を憂い己を投げ出してその責務を全うしようとした夜叉を最後の最後で掬い上げたのが既にこの国から退いた神で、その命を繋いだ以外に彼が何かした事実はないのがめ~ちゃめちゃに「500年前の戦い」と「璃月」の話で好きでした。
余談ですが、シナリオ最中の秘境ギミックが全然理解できなくて小一時間くらい彷徨ってたんですけど、配信見てたフォロワーに助けられてなんとかなりました。此処以上に迷ったところないかもしれんくらい迷いました。お前まで帰れなくなるんじゃないよ。
・三章 スメール
まずスメールって地域のデザインが全体的に面白い国で良いなと思うんですが、「知恵の国」ってどういう感じだろうなと思ったらストーリーが他の地域に比べて「頭の良い奴らは騙し合いをする」話だったのが結構ストレートで笑いました。敵も味方も平気でやりまくるので感覚おかしなる!
夢のくだりとかもそうなんですが、スメールのストーリーは展開以上に要素が面白くて、展開は意外と王道というかわかりやすい話なんですけど起こってることの詳細が難しいのがなかなかクセ強くて好きです。
この話、結果的に賢者たちが作ろうとした新たな神を止めてナヒーダが正真正銘スメールの草神として人々から認められて戻ってくることになるわけだけど、スメールが本当の意味で新たな一歩に入ったことを理解しているのがマハールッカデヴァーダの選択を見届けた旅人だけなのが非常にプレイヤーに深い感慨を残すものになっていて、結構評価も難しいストーリーだと思います。俺はマハールッカデヴァーダが未来を想い自らの分身であるクラクサナビデリを想い躊躇うことなくそれを願ったことを悲しいこととも素晴らしいこととも思わないけど、間違いなく神の選んだ未来として受け止めることはできる。このあと2024年内には花神誕祭のイベントがあったわけなんですが、そこでかつての草神と砂漠の神たちの過去の交流が語られて、それらをナヒーダに伝えるのか?に対し、すべてを知っている旅人がそうしない方がいいと言ったこと、この選択を受け止めているものとして正しすぎて唸りました。見た目は元に戻った形だけど、本当は全く違う一歩を踏み出している知恵の国。真相は夢の中。
・間章3
この間章3は恐らくスメール魔神任務の別側面として作られてると思うのですが、世界樹による改変の限界や忘却の持つ側面を違う方向、そしてスメール魔神任務でもキーマンだったスカラマシュというキャラを通して描かれたのが印象的です。たとえ元凶となった自分を消そうとしても自分で自分は消せないという事実と、罪を忘れてしまうこともまた罪であること、過去の自分とつながって今の自分として道を進むこと。ナヒーダもマハールッカデヴァーダの生まれ変わりとされてましたけど、スカラマシュもそうやって「生まれ変わり」のような形を果たしたのちに自ら罪を忘れないことを選択したこと、興味深い点だと思います。てか彼そもそも人形なんですけど、その人形たる彼がこういう経緯を辿って今に至ること。願いや感情は決して人間特有のものではないし、そもそも人間だって何かからこうなったかもしれないよね。
そういえばこれをやる前に放浪者をゲットできていたので、彼に名前をつけたらその名前になったことに異様にテンションが上がりました。この放浪者はこのテイワットの放浪者になるんだなぁ。
・四章 フォンテーヌ
フォンテーヌ、魔神任務も伝説任務も世界任務もテーマが強くて、すべて一貫して「犯罪者の親を持つ子は犯罪者か?(子どもに罪はあるのか)」「子どもは親を選べず生き方を選べない」みたいなことをやっていて、「だから『正義』が必要なのだ」を繰り返すので、個人的には国全体を見て相当な統一感があるところが面白いと思います。というか「正義」の国をやる際にそこにフォーカスを当てているのはおそらくこのゲーム自体が家族の話をしている(世界や国すらもひとつの家として、スケールをかえたものとして見る構造を有している)ところにも起因しているんでしょうね。フォンテーヌの法律や裁判はリアルなそれとはかなり様相が違っていて、それを説明するのに「演劇」の要素があるところまで含めて、かなりこだわって書かれたんじゃないでしょうか。
このスケールを変えた家族の図式は最後のフリーナの正体がわかったところでも同じで、そもそもフリーナが「生き方を選べなかった子ども」として差し出されること、それでも彼女が必死にまっとうしようとしたことが最後に結実し、しかし彼女は安堵よりも疲労を訴えて舞台を去ったこと、その全てがこのフォンテーヌという国の縮図であることが唸るほど良い話なんだけどこの「良い」はそれ自体を良いといっているとは違う意味での良いです(ややこしい)。
その上で、フォカロルスが天を騙して打ち破ろうとした予言を前に犠牲になったポワソン町は、のちにナヴィアの伝任からわかるようにナヴィアの両親がフォンテーヌ全体の利益と天秤にかけて開発の遅れた地域だったこと、親の罪は子に被り、子を守るために親が対価を払うこと、などをまざまざと見せつけられることになるわけで、決して全てが手放しに良しとされないというか、予言と同じくひとつの「型」を見せられている感覚もあってこれもまた興味深いと思います。でも選べなかった道の先に希望がないわけではないことと、エゲリアの生存の正義とフォカロルスの言った存続の正義が未来に生きる人々にかかるものであること、「舞台の演目が終わっても生きていかなければならないから、物語はハッピーエンドであるべき」なんだよなという話と併せてよくできてるなと思います。なおこの言葉はまた世界任務水仙十字の話で別の形で喋りたい部分ではある。フォンテーヌ、概念が強い。
・五章 ナタ
ここからようやくリアルタイム更新と同時にストーリーを追ったのですが、一気に追うのとはまた違った感覚があって面白かったです。戦争の国、何と戦っているんだ?と思ったら500年前に侵入してきたアビスとの終わりの見えない戦いで、絶望と希望とそこに生きる人たちの命や魂のきらめきを感じる、陳腐な言い方をするならまさにゲームとして熱い展開がたくさんのナタ編なんですが、これが「げんしんのメインストーリーとしては五章」である事実と「その熱い展開自体が本筋ではなさそう」の2点が個人的に非常に面白い話でした。
でもこれが五章なのは納得があって、そもそも旅人って異邦人なのでこの世界ではお客さんというか、まさに旅人であるがゆえに特に最初の稲妻とかで顕著だったけど国の事情に深入りする理由は本当に全然なかったんですよね。でもアビスについてとか500年前に関してとか、だいぶ詳しくなった今では他人事というわけでもなくなってきている。このバージョンに入って序章でウェンティに言われた「旅の過程を楽しんで」が返ってきていて、旅は目的を果たすだけではない、を、まさにナタの話としてマーヴィカの「犠牲が少なければそれでいいとは思わない」とかかってくるようになっている。ナタの魔神任務は他任務の進行や、魔神任務内の行動によって微細な変化があり、この変化によって旅人の感じ方も変わる場面があるところもまさにその部分を強調したものになっていて興味深いです。
旅人が手に入れるトゥマイニの古名、及びその証明たるアイテムの説明欄には最後に戦うアビスが源火の龍(シウコアトル)を模した存在が、歴代の炎神たちの声で彼らの言葉を語る内容について書かれているんですが、それらが決してなかった言葉ではないという証明と同時に「あなたが見たものは覆すことができない(たとえ彼らの言葉が真実そうだったとして彼らが歩んだ道をその言葉の結果だけを見て語ることはできない)」としており、まさにナタの総括、そして五章までの旅人の歩みを示していると思われるのがかなり好きです。この古名はナタの地でこれから引き継がれていくだろうとされていること、楽しみで、嬉しくて、同時に旅の終わりを意識する一文でもありますね。
そして神の視線を正面から見据え、運命を覆してみせた隊長の存在。彼もまた500年前カーンルイアを追われた後、長い旅をしてきた一人でした。炎神が500年の時を越えて聖火から帰ってきたように、旅人がテイワット中を旅するように、この話が長い歴史や経緯の果てにあったひとつの国でのひとつの希望の結果であること。その全てを踏まえて旅人にマーヴィカが最後に言った言葉が、「尊重してくれてありがとう」だったこと、旅の過程が大事だよという言葉が巡ります。リアルタイムで追えてよかったな~と思うナタ編でした。
・間章4
ついに帰ってきたモンド。序章とは全く違う形での、序章から時間を経たモンドの話になっていて、私は辿れなかったけれど長い間旅人をしている人からすると多くの任務やイベントを踏まえたひとつの話として見られるものだったことは想像がつきます。それはそれとして「背理」というタイトルに、結果起きたことがアルベドによる人体錬成の成功だったこと、さすがモンドというか…全体として話自体はヘビーなテーマを背景にノリはかなりライトに進んでいってて脳みそのバグりがあるというかそんなに無邪気でいいのかと思わせてくるところ、子どものような賑やかさで←これ実際に手に入るアチーブの名前なんですけどとんでもなくないですか?モンド…やっぱり変な国だぞ!
アルベド、かなり味のあるキャラだと思うんですが、やっぱ人間じゃないだろ!みたいな感覚よりも「人間の形をした生き物として生まれてきたので」という方向が見えるところがいいですよね。自分が所属している社会を理解しそこで生きることを指向している。モンド、いろんな方向に奔放で言葉悪くいうと問題児がかなり多いと感じるんですけど、それこそ自由を掲げる国らしい面なのかもしれないし、逆にいうとそこを制限した時点で自由とは名ばかりではありますものねという方向はあるというか、天賦の本は「自由、抗争、詩文」ですからねを再確認させられますね。
ドゥリン、どうするんだろうと思っていたらこうなったので、新たに生まれた人としての彼の物語も気になります。アルベドの語ったドゥリンはアルベドの語ったことであり、彼自身からきいたことではないですから。ちびドゥリンを説得したことまで含めてやっぱりアルベド良い性格してると思うんですが、雪山で彼が語ったこと自体は全くの本心だろうというか、別に嘘ついてるとかではないところがまた。モンド、一癖も二癖もどころではないけれど、そこが良い国でもまぁあるか…。
・魔神任務ダインスレイヴ
魔神任務といえば、片割れの話もしないといけないでしょう。というかげんしんのメインストーリーを面白いものにしているのがまさにこのダインスレイヴ任務と呼ばれている各バージョン及び各国最後の魔神任務となる話だと思っていて、なぜかと訊かれるとこの話だけが一連の国の任務の中から浮いて、そして全く違う物語を展開していると感じるからです。これらはゲーム内では「旅人の章」とされていて、まさに主人公たる「旅人」とその「片割れ」の話として紡がれている。そしてその事実が、プレイヤーの分身たる「旅人」にもまた「ひとりのキャラクター」としての物語や人格のあることを示している。
そして各国の話はいろんな形や結果があれど、国としては新たな一歩を踏み出すものとして帰結を見せるけれど、この旅人の章は全体としてすっきり終わることがあまりない。というか、今ある国(七国)の話のあとに既に滅んだ国(カーンルイア)を巡る話が展開される図式が面白いわけなんだけども、このコントラストみたいなものが良いというか。国への帰属意識がそれぞれに描かれる中、帰る国を失ったものたちの悲哀、足掻きや結末、この先を生きることを失ったものの言葉も含め、滅んだ国の気配を纏った話は、旅人の片割れがこの国の姫(王子)だったことまで含めて、七国の話とはまた違った方向にむけられた「家」の話であることもわかる。
家ってなんだろうな、家族ってなんだろな、したとき、もっとも最小の単位としての個人と個人もまたひとつの家で家族なんだよなとしてくるところ、概念が強いにもほどがあるけど私はすごく納得できるので面白いなと思っています。なんなら旅人と片割れの違いは、プレイヤーが最初にどちらを選んだか以外にはほぼない。双子の概念ってそういうこと。この魔神任務も回数を重ねて、ついにこないだ新カーンルイアの地脈まで完成してしまったため、八章で計画されているらしいカーンルイアの実装が近いのだと意識してしまいますね。楽しみです。