生きてるときにちゃんと見とけやって自分にもレコ大にも思ってしまう。
見てなかったわけではないし親近感だってあった。けれど今作品を追っていることがレコ大が今賞を渡すということと同じなんじゃないかって凹んでしまう。
「熱量を持って見られるものにも限りがある」ってのも言い訳じゃねえかと思ってしまう。タイミング的に今ちょうど時間が生まれた部分は大きいし、その前は忙殺されていたし言い訳でもないよな、と事実を並べてなんとか責める自分を止めている。
一方で、こう落ち込むことに「そんなことない」を求めているんじゃないかとさらに自分が嫌になる。
過去にもこういうことがあったけれど、そのときは亡くなられてから少し時間が経ってから作品を追っていた。悔いても仕方ない、悔いて落ち込むくらいなら今全力で愛したいとそのときは思えた。
けれど今回は違う。自分の人生に対する裁量が大きくなった今初めて、こういうことに面したのが原因だと思う。仕方なかったのだと踏ん切りをつけられる要素が少ない。
私の人生においては、このタイミングで向き合えた感謝が多分にあるけれど、私がこのタイミングで向き合うことなく、彼が生きている世界線がよかったと思ってしまう。