センセーショナルな報せの強さは去年実感したばかりだった。
マップの位置情報の精度が下がったときのように、赤いピンがよくわからないところに飛ばされてしまうあの感じ。
飛ばされたまま数日を生きることだってあるだろう。のまれてしまったときに身を委ねてしまうことが救いになるのなら、きっとそれでもいい。
けれど本来あるべき場所に戻れないことが苦しいときのために、戻る術はきちんともっておきたい。
私の場合はやっぱり音楽なのかな。あとは録音して何度も聴いてるラジオもかな。
これを書いておきたいと思ったときに「較正」という言葉が思い浮かんだ。タイトル筆頭だな、なんて、なんとも“ドヤッ”感ある感想を抱いた自分に嫌気が差しつつも、「正す」というのがしっくりこなかった。
こんなこと書くとタイトル書きづらくなるな。けど、みつを氏から拝借し「だって人間だもの」、ドヤッたりかっこつけたりしちゃうのもしかたがないからいいのよ。
とか頭の片隅で考えてるうちにピンとくるやつが出てきたのでそれで終わりにしよう。