メリ様には、全てをやり遂げたあとに、旅に出ていただきたい。身の回りの整理も、全てきっちりやり終えて、これで安心だと思えたら旅に出る、そんなメリ様が見たい。
三年前のこと。老執事は、ルーシュマンド記念病院に入院することに。メリ様は二年ほど足繁く通って、老執事の枕元で昔の懐かしい話に興じた。
父上、母上、お前、昔いた初老の執事の女性と、私でクルザス中央低地の湖に遊びに行ったな。その時に食べた、お前の作ったレバーケースゼンメルが美味しくて……私の好物のひとつになったよ。また作ってくれないか。ええ、坊っちゃま。私が退院致しましたら、第一にお作り致しましょう。議会の終わりに必ず寄って、エオルゼアの大規模遠征の前に必ず寄って。そうして、昔よりもずっとずっと親しくなった。幼い頃のように執事に甘え、ほとんど家に帰れなかった頃を取り戻すように、たくさん話をした。
かつてのように、アイメリクが教皇の落とし胤だとか養親に育てられたと言う人はいなくなった。教皇猊下もボーレル子爵らも、亡くなってもう20年以上経つ。自分が忌々しくも大切にしていた記憶や思い出について知る者が寿命を迎え、少なくなってきた。それは身軽ではあったが、アイデンティティが欠け落ちてゆくような感じがして、寂しくもあった。
愛猫は十年前に眠るようにして亡くなった。彼女は気難しい性格だったが、最期は老執事に甘え、彼の眠るベッドに潜って、彼の腕の中で亡くなった。彼女は、母上の隣に埋葬された。老執事は最期に、敬愛するボーレル子爵夫妻の隣に墓を作って欲しいと頼んだ。父上の隣に、埋葬しようと思う。
老執事が亡くなる前に旧友のエスティニアンが到着して、エスティニアンに見守られながらアイメリクは老執事の最期を看取った。エスティニアンが買ってきた飯を病院の外で食べ、しばしぼんやりと過ごした。とうとう、アイメリクは独りになった。「これから、どうするんだ」という問い。エスティニアンから投げられた問いに、アイメリクは「どうするのだろうな」と返す。総長の職はもういつでも譲れる。議会も、議長候補は育った。準備は整っている。荷を下ろす時がきたのだな、と感じ、「旅に出たい」とエスティニアンに言う。「どこへ行きたい」「どこへでも……これまで行った場所で、お前はどこが一番気に入った」「どこも気に入っているんだが……クガネ、ラザハン、黄金郷。その辺りか」旅に出た私を想像して、エスティニアンと旅の話で盛り上がった。旅人になりたいという思いは募る。
一年くれないか、その間に決着をつける。一年、良ければこの家に出入りして欲しい。どこかへ旅にでても構わないから、この一年は、私の家に帰ってきてもらえないだろうか。孤独が口を突いて溢れ、アイメリクはエスティニアンにそんな願い事をした。エスティニアンは承諾し、クルザスをまわって旅を続ける間、ボーレル邸に帰ってきて旅の話をした。
元々交代の話は話題に上がっていて、一年の間に仕事の整理をした。自分が受け持つ細々とした業務を引き継いで、議会の閉会期間を生かして総長職もおおかた整理をつけた。新しい総長候補は聡明で知恵が回る女性だ。そして誰より剣が強い。何度か稽古をつけてやったことがあるが、かなりの腕前だった。彼女の家からは昔、神殿騎士団総長が出たこともあるそうだ。それほど昔は大層な家柄だったが彼女はなかなか苦労をしており、庶民的な金銭感覚をもっている。彼女に後を引き継いで、一年の間に退任式典と新しい総長の就任式典が行われた。
ヴィゾーヴニルの背に乗って空を駆けてみせた彼女の姿はまばゆく、忘れられないものとなった。議長は議員の中から選ばれた。頼れる後任は歳若いが賢く、とても頼もしい男だ。アイメリクが政治のノウハウを叩き込んで育て上げた。こちらも議長就任式典が行われ、新議長はたくさんの皇都民の拍手を浴びて祝福された。アイメリクは二つの職を辞職した。辞職にあたり、教皇庁よりハルオーネのメダイが贈られた。アイメリクはトールダン大聖堂にてスピーチをして、退任した。ここでかつて、蒼天騎士団と刃を交えたことが思い出される。分が悪すぎる戦いだったが、英雄殿の加勢によってなんとか押し返すことができた。教皇庁にはあまり良い思い出がない。お偉方から命じられたことを、淡々とこなすしかなかった新人の頃は、悔しさでどうにかなりそうだった。なんとか総長の裁量権を模索して、少しずつ息ができるようになった頃、アルフィノ殿、英雄殿、タタル嬢と出会い、そこから運命ががらりと変わった。私の役目は、終わった。明日からは、もう執務室と執務室のはしごなど、しなくて良いのだ。
何もない朝は長く、何をしてよいかわからぬままぼんやりしていたが、それでも一向に昼は来なかった。エスティニアンが夕刻に帰ってきて、「今日は何をしていた」と尋ねられたが、何も答えられなかった。「明日からは、やるべきことを考えたい」とエスティニアンに言い、旅立ちの準備を始めることにした。部屋を片付けたり、埃をはたいたり、あちこちを掃除してまわった。一人で住むには家は広過ぎて、どうすればよいやら、だ。こんなにあちこち手を入れなければならない家を、老執事はたった一人でうまく回していたのだと知り、彼の凄さを痛感した。
要らぬ手紙や書類は処分して、土地の権利書の整理にかかった。子爵らしくささやかながら土地の権利を所有していて、村人に貸していたのだが、それは全て今その土地を使っている村人たちにほとんど無料で譲り渡した。村人たちはとても感謝して、旅立つのだというボーレル子爵の背を見送った。当初、屋敷は片付け、売ってしまおうかと思いアルトアレールやエマネランに相談したが、エマネランが「冒険者だって帰る家が必要ですよ!オレのダチも、みんな冒険者居住区に家を構えたら、冒険がますます楽しくなったって言ってましたし!」と言うので、屋敷はそのまま残すことにした。アルトアレールが「変わりゆく皇都イシュガルドの中で、変わってほしくないものもある」と言うのはとても共感できた。どこに、誰の家がある。あそこのお店は美味しい。ここに行けば、誰に会える。そういう昔馴染みの家や店や人がいてくれると、安心できるし嬉しいのだと。とはいえ目下の悩みはボーレル邸の維持で、暖炉やランプなどは多少手を入れ続けていないと使えなくなってしまう。本もかびてしまうのは困る。だが正直全然手が回っていない。故に売り払おうと思ったのだ、屋敷の手入れに関してはここ一年の悩みなんだとアルトアレールに打ち明けると、「どうして仰って下さらなかったのですか!我々がお手伝い致しましたのに!」と言われてしまった。対価は払うと言うも、竜詩戦争を終結に導き、皇都に恒久の平和をもたらしてくださった貴方からは、対価などいただけませんとあっさり断られた。そうして時々、フォルタン家の執事がボーレル邸を訪問して、掃除をしてくれることになった。
思い残すことが、いよいよ全くなくなった。そろそろ行くか、とのエスティニアンの言葉に頷き、アイメリクは旅支度を始めた。その間、いつのまにエスティニアンはタタル嬢に連絡をとっていて、旅装束と鎧を用立ててもらえるよう依頼をしていた。総長の装備一式を失って、さて何を着ようかと思案していたため、エスティニアンの計らいに深く感謝した。それから、「朝陽と共に去りぬ」へと続く。