生活には光がある。その言葉が、いつも私を導いてくれる気がする。どこにいても、何をしていても、誰といても。笑っていようが泣いていようが生活には、変わらずに光があるということ。
毎日毎日が私にとって早すぎるくらいのスピードで流れ去っていく。出さなければいけない書類、書かなければいけない論文、再来週の研究会のパワーポイント、週明けの講義の準備、チュートリアルで話すことの準備、何もかも本当に手をつけられていない。つけられていないまま、床に転がってただぼんやりとしている。私の生活と、社会で求められる生活とのスピードのギャップでうまく息ができない、なんて思う暇もないくらい目の前のことをこなすことで精一杯だ。
そんな時、自分が撮った写真を見返すことがある。実家での生活、フェリーからの風景、港から眺めた水面、大切な人たちと過ごした場所、アパートの窓辺、大学の踊り場。どこかしこにも光があった。
生活には、光がある。それは、わかりやすく明るいものだけではないよね。触れれば崩れて消えてしまいそうなうっすらとしたものもある。雨の日の柔らかに散らばったものもあるし、眠れない夜に窓から差し込む月や街のライトだって、光だ。
誰の生活にも、光はともにある。見えない日があっても、感じることができない日があっても、光は確かにそこにあるのだ。