遠浅の景色

るり
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公開:2024/6/27

私は、遠浅の景色を見ている。

私はできればひとりで生きていたいし、誰かとパートナーという形を伴って生きていくことはこれから先多分ないんだと思う。誰かを特別に「好き」でいることはなく、親しい人たちはみんな大切で好きで。でもずっとそばにいてほしいとか、私を1番にしてほしい?とかあまり分からない。少なくとも社会が見せてきたものはそういうものだったと思っている。パートナーがいたこともあったけれど、付き合うことで何か自分の中で相手との距離や関係性が変わるとは思ってもいなかった、し、変わらなかった。でもそれは私だけだったので途中からうまくいかなくなってしまった。恋人だから、とか恋人なのに、とか擦り切れるくらい言われて、あなたのことは大切だよとしか言えなくて。でも私にはその言葉が全てだった。目の前の相手が大切なことに変わりはなくて、これからとずっと大切にしていきたかったのに、相手の傷つく顔ばかりが増えていくのが嫌だった。深い水の底で足を取られて動けなくなるような、視界が狭まっていくような、息ができないと感じることもあった。

好きだから触れたいとか分からないし、触れられたいみたいなのもわからない。大切だという気持ちはあるけれど、好きだよと相手に伝えるのはなんだかしっくりこなくて、なにが違うんだろうとか、それは今でもたまに考える。

私の「好き」は緩やか浅瀬、遠浅みたいな感じだなと思う。ここから先が恋愛的惹かれ、あっちは性的な惹かれ、ここからこっちはそうではないみたいな線引きってなくて。(そもそも性的な惹かれ自体あまりないし、かと言ってボディタッチが嫌いなわけでもない。ハグとか肩組んだりとかはすることもある。)もしかしてみんな、そういうグラデーションの中でここら辺かなあと予測しながら線引きをしているんだろうか。それともぱっきりわかれてるのかな。分からないことばかりだ。私は線引きもできないし分かれてもない(必要ならすれば良いけれど、必要がないならしなくてよいと思っている)。ただそこにあって揺蕩っているだけ。私とその人との間にある好きや大切は誰かが近くに来たから変わるものでもないし、その人との距離が離れたとて変わるものでもない。

緩やかに波打つ中にそれぞれへの「大切」がある。それは隔たりのないところで揺蕩い続けている。私は波打ち際で、たまに指先を浸したり足を入れてみたり、少し離れてみたりしながら遠浅の景色をずっと眺めている。きっと、これからも。

窓から入る光とピースサインがうつった影
朝の波打ち際の写真。砂浜が朝日で光っている。
浅瀬の写真。透き通っていて砂がよく見える。
波が寄せてきた時の写真。
波打ち際、少し白波が立っている写真

@utatane
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