随筆 今福という名の物語 ――甲斐源氏の流れに寄せて

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公開:2025/11/14

母方の姓である「今福」という二文字に、私はいつも不思議な魅力を感じていた。

「福」の字が入る姓は、どこか温かい響きを持つ。しかし、その名が千年の時間を遡ると、戦と忠義に生きた源氏の系譜に行き着くという。名の響きの奥には、想像以上に濃い歴史の影が潜んでいた。

そのはじまりは、平安の末期。 甲斐の山々に根を下ろした源義光(新羅三郎)の血統、いわゆる甲斐源氏の源流となる人物へとたどり着く。

陸奥で武功をあげたという新羅三郎の系譜は甲斐の国で栄え、甲斐源氏と呼ばれる一団を成した。そのひとつに「奈胡(なご)」を名乗る家があったと伝わる。 奈胡義行――平安末期に京で八条院(鳥羽天皇の皇女・暲子内親王)に仕える「蔵人」となり、源頼朝の挙兵にも従ったとされる人物だ。史料に明確な姿は見えないが、地元の伝承では、源平の乱に身を投じ、のちに頼朝による粛清の嵐に巻き込まれて命を落としたという。

平家との戦いで活躍しすぎたものは頼朝に敵視されたという話もある。奈胡義行が何を思いどのように生きたのか、史書は多くを語らない。だが、「義」のために生きた武士の名残が、確かにこの系譜には息づいているように思える。

やがて、残された奈胡の一族は甲斐の山里へ逃れ、「今福」という地を拠点にした。 平家との戦に勝ち、その後粛清され、奈胡一族は名を変えた。それは生き延びるための改姓だったのかもしれない。 「今、福あれ」と。滅びのあとにも光を見つけようとする、切実な願いがその名に宿っているかのようだ。

時は流れ、戦国の世。甲斐源氏の筆頭となった武田信玄の治世に、今福長閑斎(友清)という能吏が現れる。 彼は武田家中で法や政を司り、戦だけでなく領国経営にも才を発揮したと伝えられている。戦国という荒れ野において、筆をもって国をまず支えた人物——それが「今福」という名の第二の系譜である。

1582年、織田信長の侵攻によって武田家は滅亡する。 長閑斎もまた、その乱に殉じたという。 その後の一族はどうしただろうか。歴史をなぞり、武士の世の激しさを見るとき、「今福」という柔らかな名の裏に込められた静かな強さと願いが見えてくるだろう。

母の姓を調べながら、私は思う。 歴史というものは、たいてい戦や権力の記録で埋め尽くされている。だが、不確かな、途切れ途切れの口伝のその途切れている部分で、名もなき人々がどう生きたかというところに想像の目を向けてこそ真実が見えると。

現在も5000人ほどいるという「今福」という名字は、歴史に翻弄されながらも生きようとしたそのような人々の灯火だ。その灯は千年の時を繋ぎ、母の旧き名の中に小さく、静かに灯っている。

著 木村吉宏 2025