運命の心臓 後書き

utktanata
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公開:2024/6/16

運命の心臓 後書き

以下文章は2024/5/26発行の同人誌『運命の心臓』の内容を含みます。ご注意ください。

・タイトル

幾つかの断章と短篇で構成された『運命の心臓』ですが、このタイトルはトラファルガ〜さんのことでもありますし、ロシナンテとロ〜にとってのオペオペの実のことでもあります。あなたの心臓を鼓動させる運命の果実。暗赤色の心臓が微笑う、転がる、転がり落ちるあなた。そういったイメージです。穏やかでいることを許さない暴虐なる心臓、あなたの王さま。あなただけの存在になってはくれない、あなたにとってだけの一方的な運命。表紙を捲りすぐあらわれるロシナンテとロ〜の文章はわたしにとって非常に思い入れの深いものであるため、最前を任せました。ロシナンテの運命はロ〜である、少なくともロシナンテはそう信じたのだと想像しますが、同時に、ロ〜の運命が自分ではないことにも自覚的であるだろう、といった印象も、ロシナンテに対し抱いています。そうして、それでも、その上で「だからなんだ」と一歩を踏みだせるひと。繰り返しますが、運命の心臓とはトラファルガ〜自身のことであり、オペオペの実のことでも、あって、それはロシナンテの人生を決定づけたものでもあります。

・ボルドゥ

トラファルガ〜人生滅茶苦茶部の主な傾向として、特に社会的地位のある、妻子持ちの、美貌の中年男性に関心を寄せやすいというものがあります。このボルドゥも例に漏れず、裕福な主人のお抱えの音楽家、地位や名声を手にしており、又、妻子があり、端正な容貌を持っています。さてこのボルドゥは父親から「音楽は捧げもの」と教わり、そのように生きてきました。捧げる対象は誰か? 彼の主人のアルゼイです。ボルドゥはこのアルゼイに敬意や恋慕の混じりあったものを抱き続けており、少なくとも恋情に関しては実らせぬ儘、音楽を捧げ、それがアルゼイをよろこばせる、それだけでよいのだと慎ましい振りをして生きてきました。併しトラファルガー少年と出遭い、慾望の成就はならぬものの昇華の機会は与えられた、安定した日々に変質が生じていく……といった内容です。

この文章は発行の二年前にイメージがあり、それを一年後に文章にしたのですが、その後二度、三度と結末に変更を重ね現在の形に至りました。

・リイツとエカルテ

ふたりでひとり。の生命体が、ふたりでひとり。だが、既に、この世界の論理で云えば別たれている一対と出逢ったとき。みっつの個体間にいったい何が生じるのか。という思考実験。トラファルガ〜という完結した宇宙にリイツとエカルテで完結した宇宙を接近・衝突させたとき何が生じるのか。結末はお読みいただいた通りです。

・エストレ

トラファルガー・ローはVāgīna dentātaである。であれば、Vāgīna dentātaに喰われる存在を書かねばなるまい。それもとびきり美しく、高潔な英雄がいい。そんな考えから書きはじめたもので、特にラストシーン、彼女の顛末は非常に気に入っています。「あたしの白菫」という言葉は以前から頭のなかに漠然と漂っていたもので、彼女に相応しいと思い採用しました。エストレとトラファルガ〜とを男性器を持つ女性と女性器を持つ男性と表現することもできますが、筆者としては英雄と怪物という表現を好みます。

・スィル

性器や性的指向や性的欲求や性自認、兄妹(あに・いもうと)の近親関係性、トラファルガ〜と様々な人々を書きたいという気持ちがあったのですが、そもそも性器や欲求や性自認や名前が「ある」前提なのも不思議な話だと思い、それらが与えられていない/持たない/持つことを望まない/想像もしなかった存在として構想したのがスィルです。スィルの養育者が名付けた場合はラフルゼィ、又はメルタァという名前でしたが、スィルはトラファルガー・ローと出逢ったため、スィルとなりました。これはフレバンスの古い言葉で光を意味します。という設定があります。祝福ですね。鬼哭の容貌は趣味と願望です。又、スィルについては彼・彼女などの代名詞を使わぬよう注意を払いました。

・終章

様々な声がトラファルガ〜に向けられます。彼を愛して、愛して、愛して、やまない声たちです。此処にあなたの声も加わっていただけると、或いは見出していただけるとさいわいです。

・装丁

表紙用紙:マーメイドスノーホワイト153kg ※

表紙 1-4印刷:4色フルカラー印刷

本文用紙:淡クリームキンマリ72.5kg

本文印刷:モノクロ印刷

以上後書きでした。お読みいただきありがとうございます。ご質問やご感想などあればしずかなインターネットのメッセージ機能か、wave  box、DMも解放しておりますのでよろしくお願いいたします。

2024/07/05 追記

トラファルガ〜さんを軸にしたクィア小説(私はこの言葉を好みませんが、敢えてこの語を用います)が書きたいな、という思いがずっとあり、たぶん、登場するキャラクターたちは何か奇妙な・奇異なる要素を持っているけれど、それをあるがままに受け容れて堂々と生きている。誇らしく生きている。その上でトラファルガー・ローという災厄に出逢う。出逢って、ぐちゃぐちゃになって、みっともない姿をみせて、それで、どうするか。魂の話です。魂の、高潔さの話をしたかった。登場する彼らはたしかに奇妙かも知れないが、自らが(或いは自分たちが)社会からそうまなざされることを自覚もしているが、だからなんだと思っている。そういう人々が、いた。間違いなく存在していた。

2024/06/16 泡沫実践