同僚が退職してくのは、川の流れのように.. という感じと、新たなる地平がんばれ!!!という気持ちがメインなんだけれど、諸行無常で詫びしいところもあり。
なんだかんだ言って、最終的にさみしいに返ってくる。
人生足別離だとか、蝉丸は音で一期一会を聴き分けるわけだけど、こちとらめそめそしているのもしようがないよな。
いつか服のサイズは合わなくなるくらいのことなんだ。
ちゃんと言うと、リモートの弊害はそういうことが1番大きいかもしれない。だれかの心の移ろいみたいなものは、なかなか積極的になったとしても、この環境ではむつかしい。ぎゅっとなるのは、お別れの最終段階ばかり見させられているからかもしれない。
もっといろいろ話したかったな、もっとちゃんと日頃の感謝を伝えるべきだったし、好きなものを知りたかった、などなど。
寄せ書きと送別会の予定が無機質に通知に流れてくるのが、なんとも言えない祝いと虚無に襲われる。
怖いというのがあったり。変化、今までのとうりじゃなくなる。穴が空くと言うことは破壊なんだね。人が他人とか自分を亡き者にしてはいけないのは、そういうことなんだよなあと思いつつ、川の流れが分岐した先の小石の行方しれず。
応援の気持ちしかないはずなのに、祭りのあとは虚しい気持ちになる。それを埋め合わせるために、頑張ろうと思える。