実家の茶の間には本棚といった大層な家具はなく紙類はいつも無造作に積み重なって置かれ、その中にトーベ・ヤンソン著の『たのしいムーミン一家』もあった。
その本は表紙がなかった。ハードカバーだったと記憶しているが、ハードである部分が破り取られ本文は剥き出しの状態だった。一体どうしてそんな有り様だったのか、誰が購入したものなのか、今となっては全く分からない。現物も行方知れずでおそらく捨てられてしまったのだろう。家族でその存在を覚えているのはきっと私だけで、その特別感が思い出に色を添える。
幼いころ、親が当時再放送されていたアニメをVHSに録画し、何本か揃えてくれた。生まれて初めて触れたムーミンは灰色のような水色のような不思議な色をしていて、ちょっとハスキーなとても耳に残る声をしていた。今振り返っても作りが丁寧で子供の情操教育に適っていたそれは、作者の希望により後々「なかったこと」にされた。
自分が生まれるよりずっと以前に作られたあのアニメ作品がなかったら、家にあったオンボロムーミン本に手を出すことはなかったと思う。それは大切な足掛かりだった。絵柄こそ違うが子どもに興味を持たせるには十分で、児童書を読める年齢になっていた私は好奇心のまま本を手に取った。古書の独特の匂いと風変わりな絵、読後の奇妙な感情は、それまで教科書や図書館の本から得てきたものとは180°違う読書体験を私に植え付けた。
小学校の図書館に揃えられていたムーミン童話全集は小さな私でも手の届く位置にあった。『たのしいムーミン一家』を読み終えた私はナンバリングの通りに借りて読むことにした。一冊借りては家で読み、あいだに違う児童書を挟みながら、時間をかけてシリーズを読破した。全て読み終わるころにはムーミン谷はもちろん、あの世界に登場するあらゆるキャラクターの名が浮かぶようになっていた。子どもの記憶力は恐ろしい。
当時友人の誰にも「ムーミンが好き」と話していないし「好きなの?」と聞かれもしなかったので、この密やかな熱情は自分の心の内だけに留められた。私は根暗かつ独占欲の強い子どもだったので、誰かと分かち合い楽しむことを良しとせず、自分一人の特別なものとして心の宝箱にしまい込んだ。
その箱を慌てて開ける羽目になったのは大人になりかけた時だ。それは作者の周年記念の年に起こった。これまで感じたことのないブームというものが、世の中で大きく巻き起こった。今なお続く「ムーミン可愛い」現象の始まりだ。いや、ムーミンは可愛い。可愛いけれど、可愛いより先に「不思議」が感情として来る私は、世間のその盛り上がりに戸惑った。発見されてしまった、そんな浅くて小さな悲しみが若い私の心に生まれた。
私は生まれて初めてこの作品のファンであること、この作品がとても好きであることを人に伝えた。相手は当時の同級生たちだった。その内の一人が「お勧めを教えてほしい」と、シリーズ作の何から読むべきか私に尋ねてきた。宝箱の中身を見せるのは気恥ずかしかったが、私は彼女にとびきりの一冊を教えた。『ムーミン谷の彗星』だ。ムーミン谷に謎の彗星が迫り、ムーミンたちはこの彗星の正体を調べるため天文台へと向かう。彗星が谷に衝突するまでを描いたスペクタクル作品だ。こんなドキドキワクワクする物語を知っている私はきっと特別な人間で、そして興味を持ってくれた友人もまた特別な存在だと、とあるキャンディーのテレビコマーシャルのように自信満々に勧めた。友人は読むことを約束し、私は読後の感想に期待した。
「よく分からなかった」後日、彼女は眉を下げて私に言った。今でも鮮明に覚えている。ちょっと困ったような顔で、ごめんね、と私に謝ってきた。最後まで読んだものの、何だかよく分からなかったという。私は慌てて、全然大丈夫、好みもあるから、むしろ無理に勧めてごめんね、読んでくれてありがとう、とフォローするように伝えた。「よく分からなかった」その言葉だけが脳内で繰り返し反芻され、後には[友人に何だかよく分からないものを勧めてしまった自分]だけが残った。
彼女の名誉のため記すが、友人は私より学力が高く現在は教師として教壇に立っている。単純に好みが合わなかっただけだ。友人は「可愛いムーミン」を求めていたのに、私は「スペクタクルムーミン」を勧めてしまった。そして今ならとてもよく分かるが、入門書として『たのしいムーミン一家』を勧めるべきだった。自分は玄関からムーミンハウスに入ったのに、友人にはあの高い壁をよじ登り窓から侵入しろと促してしまった。今でも反省している。
先日、街の小さな映画館で『ムーミンパパの思い出』を観た。同名小説を元に本国フィンランドで制作されたパペットアニメーション。その映画館は鑑賞後の客から自由に感想を書いてもらうスペースを設けていて、その中に『ムーミンパパの思い出』の枠もあった。言うなれば灯台、人生という荒波を乗り越える術を教えてくれる存在。そんな人生の哲学書のようなこの作品に感動し、長文をしたためた私は作品枠を見て愕然とした。子どもたちによるムーミンの絵、絵、絵。ミイ、ニョロニョロ、(マニアックに)スティンキー。お堅い感想はどこにもない。もはやトーベ・ヤンソン氏に対する激重感情ラブレターと化した長文感想をくしゃくしゃに丸め、私は映画館を後にした。
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