久しぶりにネイルをしている。
2月になりましたね。こっちは風が強すぎて毎日外から自転車が倒れる音がする。もはや、自転車が倒れる音は冬の季語でいいかもしれない。皆さん元気にしてますか。今、ウェザーニュースアプリから「明日は最高気温が11℃下がります」て通知が来た。寒暖差勘弁してくれ。
今の環境に来てからもうすぐ1年が経とうとしている。せっかくなので、1年間で感じたことを整理して残しておきたいと思う。勉強とはほとんど関係のない話。
以下の文章は、全体的に暗いし、人によっては思い出したくないことを連想させたり、不快な気分にさせるかもしれない。これを書き留めるのは、記録のためでもあるし、いつか誰かの役に立つかもしれないと思っているからだ。読める人だけ読んでほしい。無理そうな人はブラウザバックするか、一番下のさや香のからあげネタだけ見ていってください。
自分を大切にするとはどういうことなんだろうか、とずっと考えている。私は自分のことが全然好きじゃなかったし、だからといって誰かを大切にできているかというとそんなこともなかった。この2つが重なってどんどん悪循環に陥ってしまうのだと思う。
自分も大切にできない、周りのひとにも優しくできない、周りのひとを受け入れることもできていない。そんな私がここにいていいのか?とずっと思っていた。この気持ちは地元にいた時の方がずっと強かった。いつの間にか自分の欠点ばかりが目につき、それとは違うものを頑張ることで自分を取り繕っていた。本当は、何もできなくても生きていていいはずなんだけど、分かったつもりでいてもそう上手くはいかない。不出来で責められたり、容姿を悪く言われたことを繰り返し思い出すうちに、"何か"できる人にならないと駄目なんだろうな、と強く思い込むようになった。
大学に来て、キャパオーバーになったことがきっかけでカウンセリングを受け始めて気づいたのは、私が普段あまりにも自分のことを話していない、ということだった。人に話を聞いてもらうってこんなに嬉しいんだ〜〜と思った(21歳)。これは落語をやっているときも同じで、話していることに対してリアクションをもらえる、落語を通じて目の前の人とコミュニケーションを取れる、というのが素敵で、同時にとても嬉しかった。
様々なコミュニティーの中で人と話す機会が増えて、内面にある喜怒哀楽がよく分かるようになった気がした。ある事柄に対して、自分が何を感じているのか。表面上怒っているとしても、その内側にある感情は悲しみの方が大きかったりとか。そんな風に冷静に感情を掴めるようになったというか、さわれるようになったというか。今までは何となく、感情を抑え込むことで「落ち着いている」つもりだったけど、感情を出して、なぜそうなったかと向き合えるようになってから本当に「落ち着いている」状態になったのかもしれない。今までは、感情を抑え込んだ反動か、喜怒哀楽の怒が暴走する機会がたまにあり、そのたびに自己嫌悪に陥っていたが、それも減った気がする。たとえ怒る事があっても、後にそれを違う方向から見たら滑稽に思えるときもあるし、自分を客観視したり今に集中できるようになったかも。
カウンセリングを続けているうちに、自然と内面と向き合う時間が増えた。あと、無理して続けてたバイトやめた。できないことを頑張るのはよそう!というノリで。もうちょっと落ち着いてからまたバイトしようかな。 しかも、ちょっとずつトラウマ的なものを克服しつつある。というのも、私が引きずっていた事は大抵、出来事に対して「結局、自分が悪いしなぁ…😌🎶」という罪悪感が大きかったのだが、「え、でもよく考えたら自分だけが悪いわけなくない、、?🙁」と視点を変えて考えられるようになった。当たり前のことを言っているが、疲れていると、この視点の切り替えさえできなくなる。これがものすごく怖い。ちなみに絵文字に特に意味はない。
おそらく、私が引きずっている出来事は、他人から見たらどれも大した出来事ではないと思う。結局、トラウマ(本当はトラウマという言葉はもっと生命の危険に直面するような事柄に対して使う言葉だが、ここではあえてトラウマと表現している)に依存していたほうが、ラクな時があるのだ。言い訳にして、その場に立ち止まっていたほうが。トラウマを克服する難しさ、良くない状態であることを分かっていながら抜け出せない原因の一つとして挙げられると思う。トラウマを克服しつつある今のほうが、それに関連する夢を多く見るのだけど、これは起きている時に考えていることが色濃く反映されているし、私が心の何処かでこの記憶から離れたくないと思っているからなのだろうか。
カウンセリングに関しては、私がたまたまキャパオーバーになったために利用することになったのだけど。自分の中にある偏見とかトラウマは、1人ではどうにもできないところまで来てる、というのはずっと分かりきっていた。遅かれ早かれ、カウンセリングにはお世話になっていたと思うのだ。むしろ、それがこの早いタイミングできっかけがあって良かった。
何事も人には人のペースがあり、遅すぎるということはない。私はいろんなことが人一倍時間がかかりがちで、自分自身に本当に呆れることが多いが、時間をかけて分かっていくほうが面白いよと思うことにした。
物分かりが良すぎないプレイヤーがtrpgやってる様子って面白いし。最近、高生紳士と彼に振り回される四宮伊織を見てるとそう思う。
話がそれた。
私が自分の中にある偏見やトラウマを1人ではどうにもできなかったように。現時点での自分が今までと違う、何かがおかしい、と感じた時点で既に上手く対処できるタイミングを逃しているケースもあると思う。私はカウンセリングという手段や精神科・メンタルクリニックという機関に対してあまり偏見がないつもりでいたんだけど、思ったより持っていたらしい。ただ、一度踏み出してみたら、その行動を起こした自分自身を褒めてあげたくなった。
人の不安の感じやすさや、疲労の感じやすさ、精神疾患の発症しやすさは、個人の問題ではなく、遺伝的要因や環境に大きく依存する。だからこそ、どうしようもない時もあるし、悩まず相談すること、人(周りの人でもいいし、医療機関や相談窓口でも良い)を頼ることが大切だ。しかし、前述した通り、自分の症状とか体調不良を自覚できるレベルのとき、その選択肢を選ぶ判断能力って残ってないんだよな。この矛盾感ってどうしたらいいんだろうな。大学に来てからアセスメント受けたり発達障害に関する授業を取っていて、一番心にぐさりときたのがADHDの攻撃性の話だった。当事者が本当は助けてほしくても、その気持ちが捻れたり歪んだりしてしまう場合がある(もちろん、これはADHDに限った話ではない)。
不安や気持ちの落ち込みは放っておくと慢性化して、それが当たり前になってしまうから、その前に人を頼ってほしいよ。
実際、私は嫌な出来事を引きずるだけじゃなくて体に症状が出たことが何度かあったから、対処に踏み出せて良かった。MOROHAのUKさんがパニック障害でライブ活動を休止する事態になった際に、彼が配信で症状について説明していて、「自分の意志とは関係なく身体が反応する、コントロールできなくなる」ことについての説明が具体的で実に分かりやすかった。そして、自分も何度か同じ状態を経験していた、と改めて自覚した。
昨年のクリスマス、渋谷でライブを見たあと家に帰る電車の中で、久々にその状態が来た。あれはきっと脱水症状がトリガーになってしまっていたし、その時に自分で冷静に対処にできたことはかなり自信に繋がった。
なんとなく、もうあれはやってこないだろうなと思っている。今まで得体の知れないものだったために怖がっていたが、ちょっとしたバランスが崩れることによってそうなるものなんだと、改めて認識できたから。
私は、あの状態をできれば誰にも経験してほしくない。あれを経験するぐらい、自分の身体がコントロールできなくなるぐらい自分を追い詰めたり、責めたりしてしまうならば、SNSなんてやめて、必要ならば人とも、得たところで負の感情しかもたらさない情報とも距離を置いて、逃げて逃げまくって、落ち着いたらまたいろいろやり直して行けばいいと思う。うちのサークルには、[特技:逃げる]の人間がいる。
以前から、同性、異性関係なく、人に好意を向けられたとき、怖いと思ってしまったり、どう向き合ったらいいかわからなくなったり、自分なんかがと思うことがある。それこそ、逃げてしまうことがある。
人から向けられる感情を受け止められないのに対して、自分からはなるべくポジティブな感情を相手に向けるようになった。それは怒りの感情がコントロールできなかった時期に傷つけた人への償いなのかもしれない。ただ、根本的な原因の解決には繋がらない。外に感情を向ける前に、まず自分自身に向けなければならなかったのだ。本当は悲しいのにポジティブな感情で打ち消そうとせず、悲しいかったんだな、と反芻すれば良かった。
おそらく、これを読んでくれてる人には「怖い」という気持ちを向けることはない。そもそも相手には原因はない。人に好意を向けられたときの怖さって私に自信がないために生じるものだし、すぐにはなくならない。これもきっと、人一倍時間かかるよ。分かっていてもそれに耐えられなくて、自暴自棄になって、信頼できる人と話してるときでも、あ〜〜なんか今感情暴れてるな〜〜言わなくていいことたくさん言ってるな〜〜〜〜〜ってときがある。周りでよく話を聞いてくれる人たちに対して、それだけは本当に申し訳ない!!!!!!!!!!
自分なりに頑張りますので優しく見守ってもらえると助かります。大学で知り合って仲良くしてくれてるあなたも、それ以前からよくしてくれてるあなたも、いつもありがとうございます。なんならご飯おごります。これからもよろしくお願いします。
爪がかわいいと嬉しい。自分の外見について気を遣ったり、考えたりするのもしんどい😉って感じだったので、大きな進歩。こういうのを積み重ねていくのが自分を大切にすることに繋がるのかな〜と思ったりする。この文章を書けるぐらい整理がついたことも、きっと自信に繋がる。内面の喜怒哀楽は分かってきたけど、文章の起承転結は全然分かりません。数式はもっと分かりません。今年は燃え尽きる前に適度に休むことが目標です😴 SNSとも適度に距離を置きたい。これずっと言ってるね。
暗いが、決して暗いだけでは終わらない文章になった気はする。パンサー向井さんの言葉を借りれば、光で構えている。1年前の私だったらこんな風に苦しさや寂しさを言葉にできていなかっただろうから、きっと意味のある1年だったんだよ。
皆さんも仕事や資格試験、研究等お忙しいと思いますが、ご自愛ください。
また会いましょうね。💫
【おまけ】
2代目MOROHA選手権。