その日は午後に自宅の最寄りから2,3駅離れたところに用事があった。難なく用事を済ませたあとは、作業を進めようと、駅前のカフェに入ってコーヒーを注文した。いつからかブラックで飲めるようになったな、と不思議な寂しさとともに黒い液体を啜った。作業がひと段落つき、そろそろ帰ろうかと荷物をまとめ外に出ると、辺りはもうすっかり真っ暗。思わず「寒っ」と声がこぼれた。もう11月ともなると夜の寒さを認めざるを得ない。そういえば腕時計をつけているのに全く時間を気にしていなかった。左手首の袖をまくり、動く針を確認すると、もう21時を回っていた。終電まではまだ余裕がある。自然と足は駅の方に向かうが、そこで、自分が思っていたよりも一日のHPを消費しきっていないことに気づいた。ふと「このまま歩いて帰ってしまおうか」と考えが頭をよぎる。
その場で数秒足を止め思考を巡らせたあと、すぐさまスマホを取り出してGoogle Mapを開いた。自宅までの経路と所要時間を調べると3km、45分と出てきた。同時に電車でのルートも計算してくれたみたいだが、こちらは25分。しかし乗り換えが必要だった。乗り換えの煩わしさを想像し、すぐに腹は決まった。当時は頭から抜けていたが、そこに電車賃が加わるのだった(たった180円ほどではあるが)。
駅から離れ歩き始めた。散歩に音楽は欠かせないので、立ち止まってポケットからイヤホンを取り出す。スマホでApple Musicを起動したところで、好きなアーティストの新譜をまだ聴いていなかったことに気づいた。もちろん真っ先に再生した。これから夜の散歩が始まるんだ!
音楽を聴きながら夜に出歩くと、それだけでテンションが上がる。両足を交互に前に出す、ということに集中する。すると、頭を空っぽにしながらも、色んなことを考えに考えている不思議な感覚に陥る。これが本当に楽しいのだ。
3kmの道のりを行く上で懸念点は荷物だった。いつものように重かったものの、幸いリュックサック一つに収まる量であった。背中にあるのは数年前に誕生日プレゼントとしてもらったお気に入りのものだ。ところどころ生地が破れているが、目立つような跡ではないのでほぼ毎日愛用している。こう書くと「人からもらったものは大事にしているんだね」と受け取られそうだが、実際はリュックの機能性が自分に合っているために使い続けているだけだ。普段使いに支障が出るほど傷けば、修理などはせず、新しいものを調達するだろう。ただその場合にはこのリュックの機能性を受け継ぐようなものにする、と決めている。そういう文脈で言えば、ある意味「物持ちが良い」のかもしれない。
そんなことがグルグルと頭の中を右往左往しているうちに、見覚えのある道まで来ていた。ここまで来ればGoogle Mapはもう必要ない。ひたすらこの一本道を進むだけで自宅にたどり着くはずだ。
絶えず耳の中で流れていた音楽も、いつのまにか自動再生に切り替わって、知らない楽曲が増えてきた。出会ったことのない音楽に触れるには体力が要るため、こういったテンションの時にどんどんディグるのが良い。
夜の散歩に音楽が欠かせないのは、単に手持ち無沙汰になるから、という理由だけではない。人目がないのを良いことに、歩く勢いに任せて全力でその曲にノれるのが最大のメリットだ。恥ずかしがり屋の自分でも、声こそ出さないものの、BPMにのせてコンクリートを踏みしめたり、頭を振ってリズムをとったりする。こういう体験をするたびに「音楽に生かされているなぁ」としみじみ思う。音楽を好きで良かった。
リズムに身を任せて歩を進めていればあっという間に家の前に着いた。「3kmって案外短いんだな」「てかこれ前に散歩した時も同じこと思ったな」なんてセルフツッコミをしながら、リュックの小さいポケットから家の鍵を取り出す。そういえばまた時間確認してなかった!と左手首を返すも、Google Mapの言う通り、22時前には辿り着けたようだ。11月ともなると、夜は白い息こそ出ないものの、厚手のアウターは欠かせないほど寒いため、終わってみれば汗ひとつかかなかった。ただ3kmも歩いたおかげで全身の血流が循環し、身体はポカポカだった。このまま風呂に直行して布団に入ればぐっすり眠りにつけるだろう。良い夜だった、そんなことを噛み締めながら鍵を回し、ドアノブを捻った。