“もし名声というものが私に追従するのなら、私はその者から逃げる事はできないでしょう”
“もし名声が私の物で無いのだとすれば、どれほど長い間それを求めたからと言って、私の手からは滑り落ちる事でしょう”
“そして私の犬ですら、私を見捨てるでしょう”
“そういう訳なので、私には今の裸足の地位が好ましいのです”
隠遁の詩人と呼ばれる、エミリ・ディキンソンが、ある批評家への手紙で語った一文。
自らの詩が、その時の世間の好みに沿った、いわゆる“大衆受け”しそうな詩に添削されないと掲載や出版がされないという現状に対してエミリが出した回答で、「自分の作品が誰かのために好き勝手されるぐらいなら、名声なんていらないわ」という言葉だと私個人は解釈している。
隠遁というように、エミリは基本的に家の敷地外へ出る事はほとんどなく、会う人も最小限。そんな中で1800篇もの詩を生涯に残し、いまだに翻訳がされていない詩が多くある。
名声や大きなコミュニティというものに人間は屈しやすい。特にここ最近の世情では、多くの人が「誰かの1番になりたい」と願って生活しているし「みんなの好きが最も地位あるもの」とされる時代になった。
ただ大抵、高い場所から落ちれば傷は深い。そしてそこから落とすのは、大衆という気まぐれな風だ。たまにそよいで心地よくしてくれるかと思えば、突風となって襲いかかってくることもある。そして高い場所ほど風は強く吹き付ける。
そんなわけで、私も地面に立つ裸足の地位にいる事にした。簡単な話、風が吹きつけない場所にさえ居れば良いのだと気づいたから。
はだしで歩く地面は心地い。指の間を抜ける草の感触も、湿った地面の冷たさも、尖った石の痛みもわかって生きた心地がする。エミリの言葉一つ一つの広がりに、驚くばかりだ。
と、なんとなく硬い文章を書いた私ですが、今日一日何をしていたかというと、石油ストーブで食パンと干し芋を焼いて食べ、Siriに「ヘイSiri!ルーモス!(ハリーポッターの光を出す呪文、本当にライトがつく)」と言って遊んでパジャマのまま1日が終わった人間です。試験の単語より先にハリーポッターの呪文を覚えている...