最近よく動画を見てる工作系Vtuberがいるのだけど、その方は顔・年齢・ジェンダーを明かしていない。
エイプリルフールに自分の性別が何だと思うかTwitter上でとったアンケートのスクショを載せた上で 自分は女性です! とツイートしたことがあったことから、エイプリルフールに女性ですと投稿したってことはその逆で男性では?説があるらしいが、性別二元論的かつ根拠薄弱だと自分は思う。
女言葉についてボヤいた記事でも書いたけれど、みんなどうしてそんなに相手のジェンダー(というか実質的に戸籍上の性別)を探ろうとするのだろう。
いや、この方に関しては正直自分も、男性ジェンダーと結びつけられがちな工作や昆虫などが好きな〇〇さんが女性なら胸熱だなと思ったりはした。そういったものが好きでシス女性である自分は、似たような人を見つけることができた喜びを感じたかった。でも、それは世に蔓延るステレオタイプを打ち破って活躍してる方がいるということへの期待であって、ただの好奇心や自分の凝り固まった意識を安心させたいがための詮索とはまた異なる。と思う。
最悪だったのは、YouTuberの素顔や年収などの詮索情報をまとめている、よく見かけるくだらないアフィサイトをいくつか覗いてみたところ、その中に「〇〇さんは声や雰囲気は女性っぽいですが、高い工作スキルや天才的な発想力からは男性っぽさを感じますね」みたいなことが書かれているサイトがあったことだ。
小銭稼ぎ用の量産型アフィサイトの倫理観なんて1ミリも期待してないし腹を立てる気にもなれないけど、ドン引きはした。あわよくば〇〇さんに打ち破ってほしいステレオタイプや偏見に塗れまくった汚い手で、ベタベタと〇〇さんに触らないでくれやと思った。……いや、腹立ってるなこれ。おこだわ。
唐突だけど、以下の文章を読んでほしい。
小さいころは恐竜や昆虫、動物や鉱石の図鑑を読むのが大好きだった。車は乗用車よりもキャンピングカーやキャリアカー、ミキサー車などのイカつい車が好きで、そういった車が家の前を通り過ぎると高揚し、楽しそうに目で追っていた。小学校低学年の時はもののけ姫にハマり、大きな木の枝を見つけたらキャラクターの真似をして振り回していた。小学校高学年ではジャンプ漫画のNARUTOにハマり、近所の大きめの公園で木の枝を拾って彫刻刀でクナイを作ろうと試みたこともあった。修学旅行では迷わず木刀を買った。中学生になるとゲームの無双シリーズにハマり、そこから平安〜室町時代の歴史に興味を持ち、祖父母の家にある歴史の解説本を読み漁ったり、大河ドラマに興味を持ったり、司馬遼太郎の『義経』を読破した。他には懐中時計や小型のナイフに興味を持ち、いくつか買ったこともあった。高校生になるとゲーム実況という新たなジャンルに出会った。初めて好きになった実況者は、自分の動画をモチーフにラップを制作しているCO-DAという投稿者だった。大学は情報系に通い、3DCGやWebデザイン、Adobeソフトの使い方などを学んだ……
……このプロフィールだけを読んだ時、男性のものだと判断する人は多いと思う。けど、これはシス女性である蟒蛇自身のものだ。
数年前に見た『映像研には手を出すな』という大好きなアニメの主人公は、ファンタジーな機械類の空想をするのが好きな子なのだけど、中身がオッサンなどと評されることがあると聞いた。最近読んだ『白山と三田さん』という漫画の三田さんというヒロインはゴルゴ13の大ファンで、ゴルゴと同じ銃の模型が宝物なのだけど、感想の中には「こんな女いないだろ」といったようなものも見受けられた。
何が言いたいかというと、いやいるわ、「こんな女」はいくらでもいるわ、ということ。いないことにされたり、「男の領域」「男のロマン」とされる場から追い出されたりして周縁化されているだけで、ごまんといるわ。
「女らしくない」「男らしくない」とされる「女性」や「男性」を見つけることができない時、疑うべきはその者たちの存在ではなく、己の中の思い込みと偏見の方だと自分は思う。日頃からジェンダーステレオタイプな思考をあけすけにしている者に対して、わざわざ存在を明かす「らしくない人」はそうそういない。今まで散々耳にしてウンザリしている偏見に満ちた言葉を、直接ぶつけられる状況をわざわざ作ろうとは思わないから。