前回の記事の最後に、他の書きたいネタが割り込んで来なければ次の更新では大学時代に教員から言われたこととその影響について書くと言ったけど……メモ帳に書き出してみたら思ったより筆が進まなかったので別のことを書く(おれの人生はいつもこう)
最近また少し大きめの嫌なニュースが耳に入ってきた。某ヘイターが出版物を出すとか何とかいうアレ。しかもつい最近トランスヘイト本出版の話が持ち上がった会社から出るとのことで、またかよという……
その話を聞いてから、女性支援団体が酷い目にあった時のことを思い出し、せっかくマシになってきていた体調がまたドン底状態になって久しぶりにエグい過食をしてしまった。
希死念慮も復活したので、厚労省の自殺対策ページのいろんな情報を見ながら相談ツールを利用しようか迷った。今回も結局相談はしなかった。メンタルがドン底になると相談する時の文面を考える気力もわかないことが多い。かと言って対人恐怖由来の電話恐怖がある自分にはチャットしかないし……で、諦めた。
こういう、メンタルや生活がドン底の状態から回復しようと、使えそうな支援や頼れそうな団体、病院や求人情報などを見ている時に自分の身体に起こる謎の変化がある。調べている途中でいつも必ず涙が出ることだ。
自分は自分の内面と向き合って分析したり言語化する行為はどちらかといえば得意な方だと思っているのだけど、この時の涙だけは自分でもなぜ流れるのかが分からず不思議に思っている。自分の精神の中でいったい何が起きているのだろうか……
初めてこの症状が出たのは、大学を中退してドロップアウトしたあと、親に急かされるままに頻繁に求人情報を眺めていた時期のこと。地域を入れて、ジャンルを絞り、待遇、業務内容、場所などの情報と写真が並んだページをスクロールする。しばらくするうちに涙が出てきて、いつの間にか号泣しながら求人情報を眺めている状態になる。
いつもそういった情報を調べる時、脳みそが勝手にその場にいる自分を空想してしまっている。しかもこれまでの失敗続きの人生経験を元にする空想なので、思い浮かぶのは怒られたり責められたり見捨てられたりする姿ばかり。……もしかしてこれが原因の一つなのだろうか。
自分の脳みそはほんの少しでも情報が入ってくるとその瞬間に思考が目まぐるしく回り出すので、自力でこの空想を止める方法は今のところない。状況を変えるために情報を調べているのに、調べれば調べるほどに追い詰められていく地獄。。
何度同じ後悔をしたか分からないけれど、最初に希死念慮を感じ始めた10代半ばのうちに必要な支援に繋がれていれば、ここまで苦しむ結果にはならなかっただろうなと思う。10代のころの、わけも分からずすべてが崩れ落ちていく中でもがき苦しむしかなかった自分は本当に可哀想だった。同級生も大人も、頼れる者は誰もいなかった。
もしもタイムマシンがあったなら、今の自分に何らかの影響が出たとしても構わず子どものころの自分に会いに行き、大人の自分自身が一番の理解者になってずっとそばにいてあげたい。それくらいしか自分という人間を救う手立てはないように思う。