※読み返したら中途半端に敬語が混じってて気持ち悪い部分があったので修正しました。
本気で思慮した上での言葉なのかは分からないけれど、「たとえ不自由なく生きていけるだけのお金があったとしても自分は働くと思う」という発言をわりと耳にする。あるいは、「高齢になっても働くのは元気な証拠(だから良い)」など。
自分の母もその手のことをよく言う人で、パート先に新しく入ってきた70代くらいのパートさんのことを「最近の高齢者は元気でいいねぇ」などと呑気に言っていた。自分が「少ない年金でやり繰りできなくて、仕方なく働いているのかもしれないのに? それって本当にいいことなのか?」と返しても、元気なんだからいいに決まってる! の一点張り。
似たようなもので、「仕事をしていないとやることがなくなってだらけてしまうので自分は働きたい」というような言葉もよく聞く。そもそも「だらける」というのはどういうことで、誰にとって、なぜダメなんだろうか。そして、この世には賃労働以外にも有意義な行動が星の数ほどあるはずなのに、なぜ上記の発言をする人たちの視界には賃労働というたった一つの行動しか見えていないのだろう。
資本主義社会の歯車としての期待を一身に背負って生きていると、いつしか己のアイデンティティが賃労働に吸われてしまい、ダラダラ過ごしたり趣味や遊びをするという人間に必要な文化的・メンタルケア的な行動さえも許されざることだと感じるようになってしまうのだろうか。その感覚が自分自身に向かうことも毒だけれど、ヘトヘトになりながらも稼ぎ続けるしかない疲弊した高齢者の実情を覆い隠してしまうとしたら、もっと悲惨だ。
ただ、高齢になっても働き続けること自体がすべて絶対的な悪だとは自分は思わない。例えば、自分なりのこだわりや矜恃を持っている職人さんやアーティスト、趣味と賃労働を兼ねているタイプの方などは、身体が動く限りは活動を続けたいという方も中にはいるだろう。
自分はまだアマチュアだけれど、いつか絵をお金にできたらなと思っている。もし暮らしに困らないほどのお金があったとしても、絵を描くことを卒業することは恐らくない。右手が動く限りは。
でも、少しでも生活がマシになればとパート・アルバイトで埋めている方までその枠に収めてしまっていいのだろうか。ただ「若々しいね」「元気だね」で済ませていいんだろうか。一見ポジティブなその感想は、何かから目を背けたり隠蔽するための蓋になってしまってはいないだろうか。
そんなことを、昨日目にとまった以下のニュースを見て改めて考えていた。
若者や女性の労働環境という文脈で語られがちな非正規雇用だけど、高齢者も8割近くが非正規雇用だそう。
働かなければ食べていけない、非正規雇用というより弱い立場に置かれがち、労災基準が高齢者を想定しておらず申請が通りにくかったり隠蔽されることもある…… もしもこの現状を知った上で、働く高齢者に対して「元気でいいね!」という感想しか出ない方がいれば自分は軽蔑するけれど、恐らく多くの方が実情を知らないだけだろうなと思う。自分もこちらの記事を読むまで知らなかったこともあった。ぜひご一読を。