タイトルだけ見たら女性ジェンダーとモテみたいな内容に思えるけど、ただの比喩です。(いちいち「女性」を花で表現されるの鬱陶しいね)
今の日本では、差別構造に気づけるかどうかは運の要素が強すぎる。
たまたま祖父母や両親がリベラルや活動家だった人。たまたま活字を読むのが好きで、たまたま差別について考えるヒントになる本に出会えた人。たまたま感受性が強く小さな違和感に気づく特性を持って生まれた人。友人や知人の中にたまたまその手の知識に詳しい人がいて、享受することができた人。
……そういうポジティブなたまたまが重なりまくって、運良くたどり着けた人しか学ぶことができない。SNSの発展によって多少は状況がマシになったけれど、それでもやっぱり運の要素は強いままに思える。それに、SNSはバックラッシュ側の人間もパワーを持つことができてしまう。何なら倫理的な抑制もなく数の上でもマジョリティであるバックラッシュ側の方が、より強い影響力を生み出すこともある。金持ちのオモチャにされてしまった某SNSなんて特に顕著だろうなぁ。
今も公教育では歴史としての過去の差別ばかりを他人事のように教えるだけで、身近な差別構造については教えていないのだろうし(もし違ったらゴメン)、今の日本で反差別の思想や運動にポジティブな形でたどり着くというのは、崖の上に咲く幻の花を手にするくらい難しいことなんじゃないか。特に首都圏や都市部から遠く離れた地域に住んでいる人にとっては、もはや奇跡にも近いものだろう。
反差別を崖の上の花ではなく、街中やスーパーで配られるポケットティッシュくらい身近なものにしたい。きっとどれだけ上手く立ち回っても、10mくらいの厚さの石壁をティースプーンでカツカツやって貫くくらいの時間と労力はかかると思う。でも絶対に不可能ではないという確信もある。実際、自分が政治にコミットし始めてからの5〜6年の間にもいろんなことが前に進んできた。
今落ち着いて引きで見たら、幻の花が生えている崖の位置が一段下がっているかもしれない。次は崖下に、その次は林の中にと、少しずつ少しずつ身近なものにしていきたいな。