差別と不買とボイコット(2024/04/09 追記)

蟒蛇
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差別的な(発言をした)企業の不買・ボイコット運動の意味とあり方について、そして差別的な表現が否定的ではない文脈で出てくる作品などを①見ないこと ②買わないこと ③話題に出さないこと のそれぞれの意味と論点を、自分なりに整理して少し長めの文章にまとめました。

※あくまで専門家などではない、一般個人が収集した知識をもとに書いたものだということをご了承ください。


ボイコット運動の意味

まずそもそも差別に対するカウンターとして不買・ボイコット運動が有効とされる理由についてです。

現代の人間社会は、そのほとんどの地域が資本主義経済で回っています。資本主義とは「商品経済の広範な発達を前提に、労働者を雇い入れた資本家による利潤の追求を原動力として動く経済体制」(辞書より引用) のこと。平たく言うと、お金をたくさん持っている人の社会的権力・影響力が非常に強く、時に売れることこそが他の何よりも重要な要素として認識される社会構造だということです。たとえ学問的な知識がなくとも、そういう社会であると肌感覚で実感している方も多いでしょう。

今の人間社会は金持ちに権力があり、金持ちあるいは金持ちにとって有用な「コマ(労働者)」になるよう終わりのない競走をさせられ、長い年月をかけてその構造が極まった結果、時に他の何かを犠牲にしてでも売れることを求められるというフェーズになってしまいました。

資本主義社会では、感謝・応援・賛同・推奨・対価などのポジティブな要素を示すとき、金銭(またはそれに準ずるもの)のやり取りが発生します。個人の心理的な部分はさておき、社会システムとしては「金がものを言う」仕組みになっています。

お金で買えない大切なものだってたくさんあるじゃないか! と思うかもしれませんが、「金がものを言う」社会という前提があるからこそ、本当にそれだけでいいのか? それは正しい尺度なのか? という問いが生まれます。

逆に感覚的あるいは倫理的な観点がもっとも重要視される社会構造であったなら、時には分かりやすく数字で計ることも大切なのでは? 生産性や成長を極めるのも重要なことでは? という問いが生まれるはずです。

倫理的な部分を批判された時に、「それじゃあ売れないじゃないか」と論点のすり替えをする者が後を絶たないことが、資本主義が何たるかを分かりやすく表していると言えます。売れること=最重要事項 という価値観が古来から存在する絶対的な尺度であると何となく思っている方が多いかもしれませんが、これは絶対的な価値観などではなく、資本主義という仕組みを基盤として動いているからこそ生まれる価値観です。

そのような価値観が根を張る社会で、お金を払う=誰かを富ませるという行為は、払った側の意図に関わらずその者・物へのポジティブなアクションとして働いてしまい、その者・物が権力を強めることに大なり小なり助力するということになるわけです。

そして、その構造を逆手にとった差別や不正との戦い方が、不買・ボイコット運動です。ここまでに書いた通り、資本主義社会の中では時には誰か・何かを犠牲にしたり搾取してでも儲けることが優先されることがあります。人間誰しも命があり、感情があり、蔑ろにされれば傷つくし、心身の健康が損なわれることになります。現状搾取されている側の者たちだって人間です。でも儲けることが「正義」の資本主義社会では、マイノリティが実情を言葉で訴えるだけでは聞く耳を持たない権力者も数多います。

それならば、権力者を権力者たらしめるお金を、「差別や不公正を改めない限りアンタやアンタの会社には使わないぞ!」と突きつけ、逆にできるだけ公正でクリーンな会社に流れるように消費者自身が方向転換する。一人一人が使うお金は微々たるものでも、それが10人、100人、1000人…… と増えていけば話は別です。

不買・ボイコット運動を継続するために

お金を出して何かを買うという構図は、選挙と少し似ているかもしれません。※※ 選挙は一人ひとりの一票は微力でも、それが集まることで大きな結果を生みます。逆に、批判しながらもその政党に投票し続けるという行為は、批判を受け止める気のない利権優先な不誠実な政治家・政党に対しては効果がほとんど望めず、投票者の意図に関わらず矛盾した行動となってしまうわけです。

ただ一つ注意したいのは、物を買うという行為は、たとえ構造上はそうなっていたとしても、単に企業への応援・賛同を示すためだけの「投票券」ではないということです。資本主義社会において物を買うという行為は、生存や文化的生活の維持という人間生命に必要不可欠な要素を満たすのに必須の行動です。そこが不買・ボイコット運動の難しさでもあります。

アレルギーの有無、効果効能の程度、金銭的な事情、あるいは気持ちが高まるかどうか(メンタルケア)などの条件により、本当はお金を落としたくない企業だけどここで買うしかないという状況にわりと頻繁にぶち当たります。

そんな不買・ボイコット運動において最たるタブーは、無理をすることです。生活の維持に差し支えない範囲で行わなければいけません。なぜなら、社会運動は長く続ければ続けるほど効果が上がるからです。無理を長く続けることは、ほとんどの人間にとって多大なストレスとなるため、不可能です。

気候正義を実行するためのヴィーガンや不買・ボイコット運動に勤しむ反差別の人の不完全さを、重箱の隅をつついて蔑む差別者が散見されますが、不買・ボイコット運動の本質は個人が完璧を求めることではありません。むしろそれは持続可能性という観点から避けるべきことなので、シンプルに的外れです。(そもそも何の行動も起こしていないどころか逆行しているような者たちは、他者の実践にダメ出しできる立場にはないわけですが)

まったく買わないということは無理でも、価格帯をダウングレードする・購入頻度を下げる・消耗品であれば他社製の類似品と交互に使用するなども不買運動の一環だと自分は考えています。それじゃあ意味がないと仰る方も中にはいるかもしれません。ですが、企業に回すお金を減らしたことは間違いないのだから、堂々としていていいはずです。

自分はBTSのファンなのですが、彼らの楽曲制作に関わったクリエイターがかなり重めの性犯罪を犯したことがありました。当時まともに対応をしなかった事務所に対して、ランキングなどに影響の出るCDは買ってもグッズにはお金を落とさないという形で抗議をしたファンの方が大勢いました。そういった戦略的なやり方もあります。

一人の完璧さを追及するよりも緩めの参加者が増える方が、結果的には効果を見込めます。前者は完璧な一人が何らかの理由で続けられなくなった場合、運動の参加人数は0人になってしまいますが、後者は誰かが休んでいる間も他のみんなが継続すれば運動自体は途切れません。

緩さを恥じたり隠したりせずにSNSなどで投稿すると、心理的ハードルが下がり、さらに輪を広げることができるでしょう。孤独に何かを継続できる人間は恐らく少数派です。仲間を増やして安心感を得ることも運動継続には大切なことです。

冷笑としてではなく、合理的な思考の末に完璧さを追及したくなる反差別の方も、気持ちは分かります。自分も脳特性なのか昔からゼロ百思考気味で生きています。でもそこは、引きで見て運動自体の成功を第一に捉えましょう。無理にゼロ百思考を矯正しようとするのではなく、対象を個人から社会に、現在から未来に移すのです。参加人員の増加と多様さという強み、未来への持続可能性に着目した時、一人の完璧さを追及するよりも緩めの参加者が増えることの重要さに気づいてもらえると信じています。

本題からはそれますが、ゼロ百思考がキツいと感じる皆さんにも同時に言いたいことがあります。その人のゼロ百思考は脳特性に関連している場合もあります。あのグレタ・トゥーンベリさんも、自身の行動原理はASDと深い関わりがあると語っています。特性そのものを蔑んだり否定するのではなく、自分はあなたと同じやり方で戦うことは難しいと境界線を引くだけに留めてください。それでも相手が食い下がるようであれば、SNSならミュートやブロックを活用してください。その結果相手が怒り出したとしても、その場合はあなたは悪くありません。

ですが、特性そのものへのバッシングは他者をコントロールしようとはしていない(そうならないよう細心の注意を払っている)その他大勢の特性持ちを苦しめることに繋がりますし、蔑視的です。社会構造で見れば特性持ちが持たない者(マジョリティ)へ何かを強制しようとすることよりも、その逆の方が圧倒的に数も頻度も高く、マジョリティはそのことに気がついてすらいません。そのことをどうか忘れないでください。

※※ この国では、日本国内に生活基盤があり、日本の政治の影響のもとで暮らしていても、外国籍だと選挙権がないという差別がまかり通っています。未成年者も投票行動はできません。筋力の落ちた高齢者や障害者など、投票所まで出向くのが難しい人も構造的に排除されています。

でも、選挙から排除されている方たちも生きるために何らかの消費行動をします。そういった意味では、お金を使う先をできるだけ公正なものにするという戦い方は、より多くの人に開かれた戦い方だとも言えるかもしれません。

(被差別属性を持つ方は職業差別を受けやすく、心身の不調から働く時間を長く取れないことも多く貧困に陥りやすいので、マジョリティと同じだけ購入先の選択肢があるわけではないのですが)

「買わない」は効果的、では「見ない」「触れない」は……?

不買・ボイコット運動とほとんど同じような文脈でよく言われるのが、見ない・話題に出さないです。こちらは食べ物や日用品などの商品に対してよりも、主にアニメ・ゲーム・漫画・ドラマ・映画などの作品コンテンツに対して言われます。

エンタメもその他の商品と同じように基本的にはお金を払って楽しむものなので、当然ながら不買・ボイコット運動の対象となり得るものです。ただ、文字通りの「見ない」という対応については状況次第だと自分は思っています。状況1、2、3とその行動についての考えを下記で示します。

  1. 差別的な態度を改める気配のない作者・企業の作品(新品) → ‪不買・ボイコット対象

新品での購入は当然ながら作者や企業にお金が流れるわけですから、不買・ボイコットの対象となり得ます。作品は楽しみたいけれど不買・ボイコットはしたい場合、少し待って中古で購入する、所持している家族や友人に貸してもらう、書籍であれば図書館で読むなどの対処法もあります。

また、差別的な言動などが確認される前に発売された旧作についてですが、発売日に関わらずお金を流すかどうかという点がポイントなので、不買・ボイコットをするならどちらも新品で買うことは避けたいところです。

  1. その作品をSNSなど不特定多数が目にする場で肯定的に話題にする → △

資本主義社会は金持ちに莫大な権力が集中する構造だということを冒頭に書きました。では、かれらはより多く儲けるために何をしているのか。まず手始めに、企業もしくは自社の商品を一人でも多くの人に知ってもらう必要がありますよね。企業や商品開発者が決して安くはないお金を払って広告を打つのはそういうことです。どんなに頑張って作っても存在を知られなければお金も入りませんからね。

そうやってお金を払って広告を打つか、雑誌などでの紹介、文字通りの口コミなどが宣伝方法としては主流でした。そして、近年はSNSの繁栄によって「バズ」が手法の一つに加わりました。若年層に対してはもっとも効果的な手法と言えるかもしれません。

SNSインフルエンサーというのは職業のようになろうと思ってなるものではなく、その人の状態を表す言葉です。例え本人にその自覚がなかったとしても、影響力のある者が大勢の人間の目に留まる場所で紹介したものが「バズ」を起こし、多大な宣伝効果を生むことがあります。資本主義社会において数字というのは富に繋がり得る権威ですから、その「バズ」が人々の心を大きくさせて罪悪感を薄めたり、最悪の場合気づかぬうちに差別を助長することに手を貸してしまったりするわけです。

「バズ」はインフルエンサーと呼ばれる立場の方のみが起こすものではありませんが、フォロワー数の多い方は特に話題にする時期や内容には気をつけた方がいいでしょう。

  1. すでに購入済みの作品の作者が、その後に差別的な思想を持つことが発覚 → (すでに手元にある作品に関しては)ボイコットの対象ではない

たとえ購入したのが差別発覚前だとしても、心情的な拒絶感から作品を手放す人はいるでしょう。けれど同時に、その作品に強い思い入れがあって残しておきたい人もいると思います。その商品にお金を払った時点では差別は発覚していなかったわけですから、すでに購入済みの商品をどう扱うのかという選択は個人の判断に委ねられるべきだと自分は思ってます。

ただ、個人間の信頼関係という点においては亀裂を生んでしまう可能性は否定できません。客観的に見て、その人がその作品をどういう気持ちで手元に置いているのかを判断することは難しいからです。オープンな場で所持していることを示した場合、もしかしてこの人も差別思想があるor差別を許容する人間なのでは? と思われて、被差別属性を持つ人に距離を置かれることはあるかもしれません。

そのような誤解を防ぎたい場合は、その都度説明する、プラットフォームのプロフ欄や固定投稿などの目につく場所に説明書きを置いておく、信頼できる者のみ入れる場所以外では所持していることを明かさない、などの対応がベターでしょう。被差別者が差別から逃れるためにやらざるを得ない行動を疑似体験できて、一石二鳥かもしれません。……マイノリティジョークです。

最後に

金持ちや権力者になれなかった者・なりたくない者は、権力者側が投げてよこす価値観をすべて黙って受け入れなければいけないのか。それは違います。立場や功績に関わらず、すべての人間には不当な扱いを拒否する権利があります。権力者側はそのことを庶民に知られると大変面倒なので、「お前たちは無力だ」「負け犬は大人しく黙っているべきだ」と、持ち前の権力を存分に使って必死に刷り込んでくるわけです。まるで広告に大金を払って儲けるための布石をする時のように。

富豪や公人などの権力者は、数の上では少数です。一人ひとりはちっぽけで非力なはずの庶民に一丸となって下支えされているからこそ、権力者は権力者でいられるわけです。つまり私たちは、権力者にNOを突きつけてひっくり返せるパワーも持っています。

「微力だけど無力じゃない」という言葉がありますが、自分はこの言葉が大好きです。無力とは無能力のことではなく、無行動のことだと思います。たとえほんの些細な、自室やベッドの上からでもできるような毛の先程度の抵抗だとしても、実行すればそれはもう無力ではないのです。

不買・ボイコット運動に限らず、社会運動は効果が出るまでに時間がかかることが多く、時には絶望しそうになることもありますが、長い目で見れば決して無駄ではありません。そのことは歴史が証明してくれています。あなたが使っていたお金の流れが少しでも良い方向に変わること、それは未来のあなたにとってとても意味のあることです。


※追記 2024/04/09

現在、圧倒的な軍事力でパレスチナ人に対する民族浄化を行っているイスラエルの関連企業の不買・ボイコットリストで、とても参考になるものを見つけたので記載させてもらいます。

不買・ボイコットのリストとその理由に加えて代替企業案も載せられており、とても親切な記事です。不買・ボイコット運動の歴史や、これまでの成功例についての記載もあり、大変参考になります。

@uwabami
オタクィアフェミニスト。社会やら趣味やら雑多に語ってます。 詳細なプロフィールや語りの傾向は固定記事にて。