少し前に、プラスサイズなど画一的な美の基準に当てはまらない女性キャラがメインで出てる作品を紹介する記事を書いた。ここ数年ピッコマで漫画を読むようになったので、関連作品などでそういった女性表象を見かけたらとりあえず読んでみることにしている。その蓄積によって集まった作品情報を、誰かの役に立つかもしれないからと書き起こしてみたのがあの記事だ。
新鮮で魅力的なたくさんのキャラクターに出会ってきた。けれど、それと同時に気づいてしまった残念な点もある。脱ステレオタイプなキャラクターをメインに描いてるからといって、必ずしも社会派な内容とは限らないということだ。
実はあの記事のリストには、当初加える予定だったけど削除した作品がいくつかある。文字起こししている最中にさらに先を読み進めたところ、危うい描き方がなされていることに気づいてリストから除外した。
最近の海外作品だと、マイノリティ特性にあえて触れずに他の登場人物と同じように自然と存在している作品や、特性に触れた上で差別構造を批判的に描いた作品も多い。でも国産作品だと、理解ある友人や恋人にだけは受け入れられるなど社会構造から目を逸らした作品もまだまだ多くて、そういうのを見るたびに少しガッカリする。
マイノリティ性に基づく苦悩や差別に焦点を当てた国産フィクションによくある、たまたま出会った優しい人たち、たまたまたどり着いた温かい環境(半径数メートル)によってその人一人が浄化されるだけで終わる作品は、残酷だと個人的には思う。
だってそれって、裏を返せば運のいい人、もしくは行動力のある人やエネルギッシュな人にしか希望はないということになるし、差別構造自体はそのままの形で維持されてしまっているわけだから。いじめの被害者側に行動を促すことが当然とされている価値観と繋がる部分があるなと感じる。
20年前30年前の作品であればマイノリティ属性を俎上に上げるだけでも踏み込んでるなぁと思うけど、最近の作品でもその程度の解像度なのは、クリエイターとしてのアンテナが鈍すぎるんじゃないだろうか。砂利粒レベルのものでもいいから、社会の構造の方に一石投じてほしいよ。
現状そういう作品を描く人も読む人も、マイノリティ性は物語を面白くするための、あるいは好みの展開を演出するための舞台装置くらいにしか思ってなくて、現実に生きる当事者をエンパワーする気など微塵もないんだろうな。あなた方が舞台装置として気軽に消費してるその属性、血の通った実在する人間のものですよ。あなたが描いてしまった偏見や蔑視の影響を引き受けることになるのは、描いた本人ではなくこの社会に生きるマイノリティ当事者なんですよ。
すでにこの世に溢れかえっている、マジョリティが癒されるためのナンチャッテマイノリティ表象じゃなくて、マイノリティのためのマイノリティ表象がもっともっと増えてほしい。自分も、元気になったらそういうものが描きたいな。