人間という「政治的」な生き物

蟒蛇
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※2023/08/14に書いたものを加筆修正した文章です。

自分がメインで使ってるSNSで、「政治的な話はNGな場所を作る」ことについての反応がよく流れていたことがあって、その話題に自分も乗っかっただけの文章です。

旧Twitterの崩壊っぷりが顕著になってきたころだったんでしょうね。当時、みんな口々に新しいコミュニティのあり方について語っていました。

政治に関わるものとそうでないものってくっきりハッキリ線引きできるものでもないと思うし、そもそも必須とも思えないその線引きをするために、これはどっちと捉えるべきか?と一つ一つジャッジしていくのって逆に疲れそうだけどなぁ。

具体的な政党の話は出さないようにってことなら基準が明確だからできなくはないけども(やりたいかどうかは別として)。政治全般禁止はあまりにも難易度が高い。

というか、そもそも政治と完全に無関係な物事なんてこの世にはないと思う。人間が集まって作り上げた文明の中で生活している限り。

もし政治全般禁止でもそれほど困らないと感じている人がいたとしたら、それは恐らく政治的であるという自覚なく政治的な話をしているというだけじゃないかな。

あと、社会的強者・多数派(マジョリティ)にとって都合のいいことだけ政治的ではないという判断を無意識にしているとか。マイノリティや現野党に親和的な訴えにだけ「思想が強い」と噛みつく人たちのように。

基本的に、ある問題でマジョリティの側にいる人たちは政治を考えなくても生きられる。システムをつくる人の多くがマジョリティで構成されているため、庶民が熟慮したり訴えたりせずともマイノリティよりも過ごしやすい環境が勝手にできあがるから。

マイノリティ側の訴えのみが政治的であると認識されがちな社会で政治の話を禁止する場を作るということは、その場所はマジョリティが作る環境・ルールに同化できない者を排除する性質を持ってしまう上、そうして集まった同質性の高い集団の中で取り返しのつかない差別や蔑視・偏見の強化がなされてしまう可能性が高い。

せめてそのことに自覚的であってほしいと思う。そんな場所作るなとまで言える権限はないけど。

前に政治の話題はそよでやってくれって意見に対して「腕はこっちの部屋に、足はこっちの部屋に置いて過ごすなんてことできるわけがない」みたいなことを仰ってた方がいたけど、自分もそう思う。

政治について社会について知れば知るほどに、生活の中の何気ない選択ひとつひとつに政治性が宿っていることを実感させられるんだよね。自分という人間の政治的な部分だけを綺麗に切り離して隔離するなんて無理なんだよ。人間として、人間社会の中で、人間の作った法の下で生きている限り。

@uwabami
オタクィアフェミニスト。社会やら趣味やら雑多に語ってます。 詳細なプロフィールや語りの傾向は固定記事にて。