自分は自分の書く文章が結構好きなので、これまでに送った政府や政党へのご意見やパブコメ本文はすべて保管してあるんですが、記録によると自分が最後にそういった活動に参加したのは、去年8月に送った武器輸出への反対意見が最後になってました。
相変わらずニュースは(SNSでだけど)追ってますし、低頻度ではありますが気力のある時に本やまとまった文章を読んで勉強したりもしてます。ただ、アウトプット的なアクションはほとんどできてないという状態です。
今もできてるのは署名くらいですかね……自分の心身を保つために必要な消耗品や医薬品類が多すぎて、最近は少額の寄付すらもままなりません。過去にはColaboやハタチ基金、様々な社会派クラファンにお金を出したこともあったんですが。
過去の自分が書いた文章とかイラストとかを見ても、これは本当に自分が書いたものなんだろうか……? と最近感じます。元々かなり重度のインポスター症候群(自分の成果を自分自身の実力だと思えず、運が良かっただけ、二度と同じクオリティを出せないと感じてしまうこと)なんですが、その感覚が記憶そのものにまで作用し始めたみたいな感じです。
自分自身の手でこんないいものを書けた日が、こんな自分にも本当にあったのか? と……夢を見てるみたいな感じというか、解離感と言うんですかね。よく分からないですが、自分の人生が過去から順番にボロボロと崩れ落ちて、その崩壊がついに現在に近いところまで迫ってきた……みたいな感覚です。
少しだけ休憩してまた戦うつもりだったんですが、糸が切れたみたいに急に動けなくなってしまいました。なぜなんでしょう。これがバーンアウトというやつなんでしょうか。でも、バーンアウトってもっと精力的に活動してるアクティビストと呼ばれるような人たちがなるものなのでは……? 期間も長すぎるように思いますし。
たったあれだけの微々たる活動にすら耐えられない己の心身と、夏が来たら丸一年なにもできなかったことになってしまう事実に、胸が潰れそうです。
恐らく、孤独な引きこもりというのがネックなんだろうなとは思います。この国で反差別の友人を持つのは相当な難易度でしょうけど、差別的な言動をあまりしない友人なら最低一人はいるって人が多数派なんじゃないですかね。自分の観測範囲での話になりますが。そういう人たちは政治的な話題の共有こそできずとも、活動の中で生まれたストレスを交友関係で薄めることはできるじゃないですか。あと、みんなこまめに休むのが上手いんだろうなと思います。
自分は極端な思考がデフォルトなので、適度に休むとか適度に手を抜くってことができないんですよね、昔から。何ですか適度って。Twitterやってた時も、ガーッと一気に消耗して1〜2ヶ月まったくアプリを開けなくなるというのを延々繰り返してました。何度気をつけようと思ってもできないんですよ、「適度」。
人間関係を構築したり保つのに必要なエネルギーやスキルも枯渇していて、友人を作ろうにも作れない状況です。数年前まではせめてネット上でくらい繋がりを作ろうと頑張ってましたが、意図しない自分の言動のおかしさや浮き具合、過去の人間関係でのトラウマのフラッシュバックに耐えられなくなってコミュニティを抜けたり、エネルギー切れで連絡を返せなくなって自然消滅したりという流れにしかならず、もうチャレンジするのも疲れました。
よく、学生時代の友情は一生モノで大人になってから本気の友情を築くのは大変とみんな口を揃えて言いますが、学生時代すらまともに友情を築けなかった自分は到底無理なんでしょうね、今から深い関係性を育むなんて。
それならそうで孤独な状態で生きられる心身になっていてくれればいいのに、孤独によってしっかりとダメになっていくの何なんですかね……いったいどうしろと?
【むなしいオマケ画像】
数年前、自分と同じような状態でいる祖母の姉妹のお孫さんを紹介されたはいいものの(見合いかよ)、気を遣いすぎて疲れてSMS返信できなくなって5年が経過……なんてことも。
同じような状況と聞いていたのに、話を聞いてみたら彼女はすでにアルバイトを始めていて、車を持っていて、ドライブに行きたいらしいことを知り、せっかく歩みを進めている人を時が止まったまま動く気配もない自分なんかとダラダラ付き合わせるのは申し訳ないって気持ちになってしまったんですよね……