文ステが好きだ。
演劇の楽しさを思い出させてくれた演劇だった。私にとって。
小劇団にいたことがあり、人間関係が上手くいかず辞めたことがある。
(最後はパワハラにあったような感じだった…当時の団長の、私にキツく当たることとか、吐き捨てるように言った言葉は、小さな棘になってずっと私の中にある気がする。)
だから、演劇は観るのも辛かった。思い出すから。出来なかった私、吐き捨てられた言葉、態度。それら全てが、私に吐き気を引き起こすから。
でも、好きな役者さんが太を演ることになった。
観に行ってみたいと思った。演劇を辞めて数年、私はドキドキしながら劇場に行った。2018年1月のことだった。
結果は、ワクワクした。
異能の表現が演劇でしか出来ない表現で、こんな方法があるのかと感動したし、役者さんたちの一生懸命さや楽しさが伝わってきた。
その時、私は演劇が好きだったことを思い出した。
楽しかったことばかり、その時は思い出した。
学生時代や小劇団時代に、この舞台に出会えていたら、また違ったアプローチで挑めたんじゃないか、とさえ思った。
文ステが無ければ、私は今でも演劇を好きだと言えなくなっていたと思う。
小さな棘は今は粘膜に包まれて、痛みはしない。
あることはあるけれど。それも全て私の一部になった。
そんな文ステは回数を重ね、コロナの時代も経て、終焉した。
共喰い。
チケットは1回目は取れず、2回目の応募で取ることができた。
朝早くから並んで、ブロマイドを馬鹿みたいに買い、開演を待った。
その日は6月で、もう暑かったと思う。暑さ対策に気をつけ、外でしばらく待ったと思う。
大阪、2回目の昼公演を観た。
泣いた。とても泣いた。
2回目の公演とは思えない、役者さんたちの仕上がり、熱量。
そのことが、この作品が、そもそも役者さんたちに愛されている証だと思った。
円盤は絶対に買う、と心に決めて、劇場を後にしたのを覚えている。
文ストの主題歌を聴きながら帰った。
寂しくて、でもとんでもない満足感があって、今もその時の感情には名前をつけられない。
円盤を見て、その感情が反芻された。
楽しかったなぁと思う。あの場にいることができて、とても幸福なファンだったと思う。
きっといつまでも文ステが好きだと言い続けると思う。
演劇が好きなら、文ステを見てみてっておすすめをすると思う。
もう文ステが観れないのは残念だけれど、とても大切なことを思い出させてくれた作品で、演出家、スタッフ、役者さん、関わった人全てに感謝しかない。
もう演劇の場に行くことはできないけれど、私は演劇がちゃんと好きだったし、今も好きです。
そう思わせてくれて、本当にありがとう。