2021年10月27日に、やり場のない気持ちを吐き出すために書いたこの文章を、投稿しようかそれとも私の心のなかだけに留めておこうか、ずっと考えていました。たとえほとんどだれにも注目されない、景色のひとつでしかないアカウントであっても、超プライベートなことを全世界に公開する必要があるのか。そこまでしたら私は哀れな「承認欲求モンスター極」になってしまうんじゃないか。それはいやだ! 「承認欲求なんてあたくしにはございませんのよ。うふふ」の顔して生きていたい(ジタバタする女の図)! そうやって悩んで、考えて、存在を忘れて、ふと思い出してまた考えて、心のワインセラーでだいぶ寝かせている間に、なんとびっくり私の綴った文字はビンテージもののエッセイになっていました。そうなると、味見したくなるのが酒に溺れた人間のSAGAというもの。わあ! 酒と共に生きる有機物代表くりまんじゅう先輩に似てると言われた女が通りますよ〜!
原型となる文章を書いてから約2年半の時が経ち、どうしようもなかったあのころから気持ちの有り様も変わった今なら、それなりにおかしみのあるエッセイになるんじゃなかろうか。そう思ったので、今回はちょっと踏み込んだ内容を投稿しようと思う。
覚悟はいいか?
それではどうぞ。
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2021年の10月、私の大切な人が旅立った。
彼女は美人でかわいくて、でもそんな愛くるしい顔のわりに性格は地獄の獄卒のようにキツくて、気が強そうな外見のわりに小心者だった私は、幼いころはよく彼女に泣かされていた。悪口なんて呟こうものなら倍どころか倍の三乗返しが目に見えていたから、ひたすら口を噤んで耐えていたなあ……はは、なんかしょっぱい汁が出てきた。
だが人とは不思議なもので、気が強い彼女と気が弱い私は、正反対の性格が功を奏したのか、荒ぶる破壊神と神の怒りに触れないようにひたすら小さくなる平民という構図から、いつの間にか生まれたときから大親友ですみたいな顔してきゃっきゃするようになっていた。こたつでみかんを食べながら、部屋で漫画を読みながら、風呂に浸かりながら、ふと冷静になり「恐怖の大王よりも恐ろしい存在だったのに……散々虐げられてきたのに……なぜ?」と思うことはあったが、平民根性が染みついていた私は、触らぬ神に祟りなしの精神で疑問はすべてなかったことにした。人間とは簡単に記憶を捻じ曲げられる生き物なんですねえ。
とはいえ、なんだかんだで本当に私と彼女は馬が合っていたらしく、まだ10代でバリバリの思春期で人付き合いがとにかく苦手だった私の、唯一の理解者になってくれたのが彼女だった。そしてこのころから生きづらさ街道を全力で爆進していた私の、いちばんの親友も彼女だった。今でも彼女以上に私を理解し、適切な距離で寄り添ってくれた人はいないと思っている。たぶんこの先も現れないんじゃないかな。
荒ぶる神は、自分のなかに渦巻く怒りや熱を放出したあとは、私にとってはそれなりに気が強くてかわいい菩薩になった。わあ! 神の進化の過程を見届けた女が通りますよ〜!
そんな彼女が突然いなくなったのが、2021年10月4日だった。
私の周りにいる人は、だれも彼女の具合が悪くなっていることを私に教えてくれなかった。コロナ禍で会うのを控えていたから、みんな私のことを忘れちゃったのかな。だとしたら絶対に許さねえけどな。てのはうそで、急激に弱っていく彼女をただ見続けるしかできなかった彼女の配偶者や両親の気持ちを考えたら、なんで教えてくれなかったんだって怒ることなんてできなかった。輪のなかから一歩外れたところにいた私のことなんて、思い出す余裕もなかったはずだから。コロナじゃなければもっと会えていたのにな。
「転移した」と聞いたのが、10月3日だった。
そういう理由で、ひさしぶりに会った10月4日。彼女はその日のうちに旅立ってしまった。もし彼女が「渦ちゃんに一緒に病院に行ってほしい」と言ってくれなかったら、何も知らされないまま呑気に酒飲んでテレビ見て、だらだらと休日を過ごしていたんだろうなあ。
病院に向かう車のなかで、これが最後かもしれないと思った。それぐらい彼女は弱っていた。パジャマから伸びた腕は、細くてカサついていた。
あまりにも辛そうな彼女にふれることができなかった。ふれたら余計に痛みや苦しみを与えてしまうんじゃないかと、怖くて手を伸ばせなかった。彼女は、病院に一緒に行く相手に私を選んでくれた。それなのに、私は隣に座ることしかできなかった。
最後かもしれないと思っていながらも、私はなんの覚悟もできていなかった。最後かもしれないと思っていながらも、しばらく入院したら家に帰れるのだと思っていた。ばーかばーか。違ったじゃんか。もう戻ってこなかったじゃんか。だからあのとき、腕をさすって大丈夫だよって言えばよかったんだ。もうすでに冷たくなりはじめていた彼女の手を、私が握ってあたためればよかったんだ。ばーかばーか。私のばーか。
コロナ禍真っ只中のあのころは、病室について行くことは許されなかった。病棟にも入らせてもらえなかった。ストレッチャーに乗せられ、エレベーターに乗り込む彼女を見送ることしかできなかった。こんなもんなの? って思うほど別れはあっけなかった。
帰宅してすぐ、容体が急変したと連絡を受け再び病院に戻ったときにはもう、彼女の意識はなかった。
コロナの影響で近くに行くこともできず、集中治療室のガラスを二枚隔てた面会だった。ドクターとナースと私と彼女の配偶者。とりあえずいる人だけ集めた即先の探検チームのような、変な組み合わせだった。涙と鼻水でぐじゃぐじゃになっていた私に、ナースがそっとティッシュの箱を差し出してくれた。すいませんすいませんと言いながら、箱を抱えて泣いた。
翌日、彼女は霊安室にいた。青白い顔で、枯葉みたいな色のパジャマを着ていた。
昨日カサついていた腕は、次の日には蝋人形みたいになっていた。命が尽きるとこうなるんだなあ、と不思議な弾力を持った彼女の手を握って思った。
あの日からずっと、死について考えてきた。自分が死にたいとかじゃなく、人は案外あっけなく逝ってしまうこと、なぜ彼女だったのかということ、死ぬってなんなんだろうということをずっと考えてきた。この世には死んでいい人間なんていないって言葉をよく聞くけど、あれは半分本当で半分うそだ。彼女は死んでいい人間じゃなかった。彼女の代わりに死んでいい人間はたくさんいた。どうして彼女だったんだろうな。もっと極悪人がいるじゃないか。たかが幼いころに私をいじめただけで、獄卒のようなキツい性格をしていただけで、命を奪ってしまうのかい? 不公平だな神様って。と思いつつも、こればっかりは運だからしょうがないか、とあっさり納得する自分もいた。だって神様って肝心なところで姿を消すもんね。彼女の生き死にに神様の存在なんてなかった。あれは間違いなく現代医療の敗北だったな。もっともっと負担が少なくて効く薬が開発されるといいな。がんばってくれよ製薬会社の人。
そうやって死について考えながら過ごしてきて、ずっとこんな感じで心のすみっこに「死」を飼いながら生きていくのかなぁと漠然と思っていたのだが、やはり心の有り様は変化するものだ。ある日ふと、彼女の歌を詠もうと思った。今までは彼女のことを考えるだけで寂しくて泣いてしまっていたけど、そろそろこの気持ちを昇華すべき頃合いなのかもしれないと感じたのだ。
いないこと受け入れたからこれからはいたときのこと大事にするね
生きていく日々は映画だ エンドロールもっとあとだと思ってたのに
生きている私の時間は進んでく 四月、あなたの年をこします
彼女の歌を何首か詠んで、なんとなく、次の段階に移った気がした。「なんで死んだんだろう」ってところから、「あのときは楽しかったな、こんなこともあったな」と、思い出として振り返るようになったのだ。彼女は私のなかで過去になった。
過去になったから忘れるということではない。過去になったから、いい思い出としてずっと残るのだ。なんで? どうして? をやめた私も、私のなかでそんなふうにしか存在しなかった彼女も、お互いに解放されて楽になったと思う。たぶん彼女は今ごろ、軽くなった体でぐうぐう寝ているだろう。彼女はよく寝る人だった。半目を開けて口を開いて寝る姿はわりとホラーだった。
彼女を忘れることは、私が認知症になってゆっくりと記憶を手放していくまではない。だって彼女は私の大切な、唯一無二の親友であり姉だから。たったひとりの姉は、いつまで経っても、私がどんなに歳をとっても、私の姉であり続けるのだ。
だからこれからは、彼女の顔を思い浮かべるたびに、いま何してんの? って語りかけていこうと思う。
ハローハロー元気にしてる?
ハローハローこっちは雪が降ったよ。
ハローハローたまには会いにきてね。
ハローハロー今日も大好きだよ。
次に会うときは、私はきっとよばよぼのばあちゃんだ。そのときはすごい老けてる〜って盛大に笑ってね。私は満を持してBBA特有のふがふが笑いを披露してあげるからね。そのあとは、若かりしころの姿に戻ってカフェでお茶でもしようよ。大丈夫、私がそっちに行くころには、自分の意思で自由に見た目を変化させられる力を手に入れているから。パワー! それでアイドルのコンサート映像とか見て、きゃっきゃしようね。
それまでは、ハローハローって呼び続けるよ。