図書館にいる妖怪とよく対話をする。妖怪みたいな人じゃなく、本当に妖怪。
妖怪は……います!
あのね、霊感があるとかスピリチュアル系だとか、そんな話じゃないですよ。だから引かないで。やめて。そんな目で見ないで。まあちょっと最後まで読んでみてくださいよ。あ〜あれのことね、って思うはずなので。
作家のコリン・ウィルソンは、探していた資料を偶然としか思えない形で見つけることを「図書館の天使の導き」と表したらしい。神的な存在の思し召しとしか思えない現象を的確に表した、素晴らしい例えですよね。さすが作家。言葉の扱いがお上手。たしかにある。そういうこと。本だけに限らず、わたしたちが何気なく送る日々のなかで、「これは神がかり的な何かが発動してるわ」と思うことがたまにある。そう考えると、わたしたちは人生のあらゆる場面において、何かの天使に導かれているのかもしれない。いいね、ファンタジー感あって。
今回は、そんな「神がかり的な何か」と呼ぶほどではないけど、ちょっとだけうれしい小さな奇跡が図書館で起こる話。
わたしが呼ぶ「図書館の妖怪」は、文字通り妖怪だ。天使ではない。なので探している資料を偶然の形で目の前に提示する優しさはない。探し物? 自分で探せばあ? とハナホジするようなやつなのだ。じゃあ何をしてくれるのかといえば、「オマエ コノ本 スキ 読メ イッヒッヒ」と妖怪の独断と偏見で適当に本を見繕ってくれる。つまりはものすご〜く怪しい敏腕ブックコンシェルジュ。
わたしの場合、図書館本といえばジャケ借りが基本だ。「この本が読みたい!」とメモを握りしめて図書館に行くことはしない。どうしても読みたい本は予約できるので。もしくは買うので。図書館では出会いを楽しむ派なのだ。最悪なナンパ師みたいな発言だな。とにかく、わたしは静かな館内で、あ行からスタートしてワ行まで、書架をのんびり歩きながらピンとくる本を探すのが好きなのだ。
「この本! このタイトル!」はないが、絶対に外せない作家の棚は熱心に覗いてしまう。今村翔吾、川瀬七緒、澤村伊智、三浦しをん、エトセトラエトセトラ。もしかしたら、たまたま読みたい本がフリーになっているかも、という淡い期待を抱いて。ほぼ不発に終わるのだが。人気者は競争率が高いのはどの世界でも同じ。あーあ今日もなかったなあ、と一周したら今度はワ行から逆スタート。
そしてここから、妖怪との対話が始まるのだ。
「さあて、今週の妖怪さんは?」
「妖怪です。朝晩は涼しくなってきましたが、まだまだ日中の暑さには油断できませんね。こんな時はさらっと読める本が欲しくなります。さて、今週の妖怪は『このあたりの人たち』『オリーブの実るころ』『私の家では何も起こらない』の三本です。今週も、読んでくださいね。うふふ〜」
てな具合だ。突然サザエさん節で饒舌になる妖怪は、まあ当然のことながらわたしの妄想なので置いておこう。実際は「オマエ コレ 読メ」ぐらいしか言わない。ウンパルンパよりも少し背が低く、全体的にぽてっとしたフォルムの妖怪は、ずっとわたしの周りをうろつきながら、おすすめ本があると書架の中にごそごそと潜り込み、目当ての本の背表紙をほんの少しだけ前に押し出すのだ。ちなみに、上記の三冊は、最近読んでよかった本だ。もちろん妖怪セレクトだ。
こんなふうに、妖怪はわたしに本を与える。あ、妖怪のおすすめしてる本だ、とどうやって気づくのかといえば、なんだか装丁が光ってみえるのだ。何百冊と本がひしめきあう書架において、そこだけキラキラと、まるで宝箱の存在を示すかのように、わずかな光の粒子が舞っている。ように感じる。
知らない作家、名前は知っていても読んだことのない作家、どうも苦手で避けていた作家。なぜ読もうと思ったのか自分でもわからないけど、なぜか気になって、なんとなく手に取ってみる。ぱらぱらめくって、おもしろそうかも、と借りてみる。それが図書館の妖怪の力なのだ。そして妖怪がすすめた本は、だいたいがおもしろく読める。最高によかった! とまではいかなくても、へえ〜案外いい感じだったな、で読み終えられるのだ。
さて、わたしと一緒に館内をぽてぽて歩いては、「オイ オマエ コレ 読メ」と言ってくれる妖怪だが、わたしが図書館に行くたびに現れるかといえば、実は全然そんなことはない。妖怪は超気まぐれなので、気分が乗らなければ「ネムイ オマエ カエレ」と冷たくあしらわれてしまう。そんな時は、目印になる光る装丁もなく、自分の勘だけで本の海を泳がなくてはならないので、だいたい失敗する。ぶくぶくと沈んでは、はふはふと荒い息で浮上して、何を選んでいいのかわからず迷子になって、無駄に疲れてしまう。そして家に帰って読みはじめて、なんかちがう……目がすべる……おもしろくない……となる。ことが多い。悲しいかな、自分の勘ほど当てにならないものはない。
ということで、失敗を繰り返し学んだわたしは、妖怪がいない時は、絶対に失敗しない作家——東野圭吾や宮部みゆき、穂村弘のエッセイなど——を借りるか、食べ物がテーマの小説を探すことにしている。数日前に図書館に行った時は、へそを曲げていたのか妖怪は出てこなかったので、救済策として食べ物小説を借りた。もちろん大成功だった。坂木司の「ショートケーキ。」、谷瑞恵の「サンドイッチシリーズ」、近藤史恵の「ビストロ・パ・マル シリーズ」、ひとつの食べ物をテーマにしたアンソロ、他にもあるが、食べ物系は裏切られることが少ないので、妖怪不在時の救世主として崇めている。
とまあこんな感じで、妖怪とは付かず離れずの距離でお付き合いをしている。優しいのか優しくないのかいまいちわからない妖怪。でも彼のすすめる本は、私のためだけに選ばれたものなのだ。
妖怪なんて妄想で、結局は自分の勘で選んでるんじゃん。なんて正論はここでは言わないでほしい。わたしは霊感もなければスピリチュアルに興味もない。だけど、何かが起こす小さな奇跡が新しい本との出会いを作ってくれる、と考えたほうが、より読書が楽しくなると思っている。だからこれからも、図書館に行くたびに、見えない妖怪と対話を続ける。まんまるなおなかを揺らしぽてぽて歩く妖怪が、「オマエ コレ 好キ 読メ」とキラキラ光る装丁を、ほんのちょっとだけ私のほうに押し出してくれる瞬間を待つのだ。
あなたにもきっとあると思う。なぜか気になって手に取ってみた本が、予想外におもしろかった経験が。それはきっと、あなたの好みを熟知した、あなた専属の妖怪が、あなたのために選んでくれた本だからだ。
あなたの妖怪は、どんな姿をしているのだろう。かわいい系か、クール系か、もしくは餓鬼スタイルか。そんなことを考えながら本との出会いを探すのも、ちょっとした楽しみ方のひとつになるかもしれない。