ホラー小説のタイトルみたいだ。
私は極度のストレスにさらされると悪夢を見る。自分で言うのもなんたが、基本的に逃げるが勝ちを性分にしている私は、長期間強いストレスの下で生きねばならぬ事態にはそうそう陥らない。サステナブルなお気楽人生を送るために、不要なものは即捨てるし危険なものからは距離をとることに全力を注いでいるからな。
そうはいってもストレスの原因なんてそこらへんにごろごろ転がっているものだ。犬も歩けば棒に当たるし現代人は歩かなくてもストレスのほうからやって来る。迷惑極まりない。もちろんストレスは例外なく私のもとにも来る。背後から忍びより、私の息の根を止めようとする。おおこわい。要人じゃないんだから暗殺仕様はやめてくれ。頼むから一ヶ月前からアポを取り、正々堂々と玄関からやって来てくれ。そうしたら居留守を使ってやるのに。
まごうことなきストレス社会。「あなたのストレスはどこから? 私は仕事から」ってCMが作られてもおかしくない日々を私たちは生きている。ストレスに強い人も弱い人もいるなかで、十人十色の対処法があるだろう。推しの妄想に励む人、胃薬と二人三脚で歩む人、ストレスに殴りかかる人、見なかったことにする人、みんなちがってみんないい。がんばろうぜ。がんばらなくてもいいけど。ちなみに私には対処法がない。冒頭で逃げるが勝ちと言っておきながら、逃げるための準備をしないのが私だ。そしてひたすら弱り、ある日突然パンッと弾けて後先考えずに走り出す。なんとも野生味が強いというかなんというか。
なぜ対処法がないかというと、鈍感だからだ。ストレスにはとことん弱いくせに、どうやら私はストレスを感知するセンサーが壊れているらしい。なんか嫌だなあと思いつつも「ま、これぐらい大したことないか」と、ある程度の期間を、日がな一日笹を食むパンダのようにぼんやり過ごす傾向にあるのだ。ストレス耐性が皆無に等しいのになぜのんびりできるんだあんたは、と過去の自分に呆れること多数。経験から何も学んでいない。いいかげん学んでほしい。
のんびりぼんやり尻をかきながら過ごしている間にも、どんどんストレスは溜まっていく。なにせ弱いから。耐性ないから。そしてとうとう限界を迎えるわけだが、私だって何のしるしもなくいきなりキレるわけではない。「あんたそろそろ弾けるからね!」という神のお告げはちゃんとあるわけだ。それがタイトルにもある悪夢という話。また前置きが長くなってしまった。脱落せずにここまで読んでくれてありがとう。ま、お茶でも飲んでゆっくりしようや。
この悪夢はきっかり七日間続く。なぜなら七回目の悪夢を見て目覚めたときに、はじめて「あ、これストレスだ」と気づくからだ。それまでの六回は「なんか同じような夢ばっかり見るなあ」としか思わない私。なぜ悪夢だと気づかない? あんた、手を替え品を替え殺されかけてるんだよ?? なにを呑気に朝の珈琲なんて飲んでんだ。せっかく教えてやってんだからさっさと危機感を持て! ストレスだよ! ス! ト! レ! ス! と神から叱られそうだ。
七日間続く悪夢はバリエーション豊かだ。バリエーションとは? と思ったそこのあなた! 疑問にお答えしよう。シチュエーションだ。私の場合、方法と結末は同じだが、七日間様々なシチュで殺されそうになる。ここで注目してほしい。私は死なない。なにがあっても死なないのだ。ゴ○ブリのような生命力だ。踏まれても生える雑草と表現したほうが精神的によろしいか?
直近の悪夢は「火あぶりシリーズ」だった。ある日は魔女狩りで燃やされ、ある日はガソリンをかけられ燃やされ、またある日は普通に燃やされた。火炎瓶とかも見たな。でもどうやっても生きているのだ。なんか熱いなあと思いながら燃やされる私。元気元気! どうだ、ホラーだろう。
その前に見た悪夢は「刺されるシリーズ」だった。ある日は武士に、ある日は変質者に、日本刀やらナイフやら包丁やらで襲われる夢を七日間見続けた。このときも死ななかった。大層な身なりの武士に袈裟斬りにされても生きていた。元気元気! 余談だが、このときはストレスだと気づいた七日目、念のため自分の部屋にお札が貼られていないか探しまくった。真夜中に。だってねえ、呪われてるっぽいからねえ。どうだ、これもホラーだろう。ベッドの下、家具の裏にあったのはホコリだった。見なかったことにした。
おもしろいのは、ストレスだと自覚するとあら不思議、悪夢は不定期更新になるのだ。深層心理の妙だな。
そうしてやっと自分が極度のストレス下にあることを察するわけだが、ここからの行動が速い。サバンナに生きる草食動物なみの足の速さで迷わず逃げる。ここでやっと逃げるが勝ちの本領発揮だ。直近は仕事が原因だったのだが、それまではへらへら上司と今後の仕事について話していたのに、ストレスだと気づいた瞬間に「むり〜」となり、翌日には「辞めます」と言ってさっさと逃げた。上司は唖然としていた。唖然とする顔ってこういう顔なんだなと勉強になった。今はいい職場を見つけ、日がな一日ごろごろするパンダのようにのんびり働いている。
最初に書いたように、私の人生において、長期間のストレス生活を強いられることはほとんどない。つまりこの先はしばらく悪夢は見ない(はず)。だがいつか七日間の悪夢が始まったら、そのときはまたどこかで感想を書き散らそうと思う。うすうす感じてはいるが、どうやら私は、今度は夢のなかでどんなひどい目に遭うのか、案外ネタとして楽しんでいるふしがある。これも平穏な日々の賜物だろう。