日常生活において溺れかける経験はおありだろうか。
わたしはある。
わたしはどうやら唾液が多いらしい。カラオケでは歌っている途中で唾液があふれそうになるし、どの場面においても気を抜くとよだれが垂れる。飴玉は二、三分で溶けて消えるし、よだれがあふれるから口をひらいて行う顔面エクササイズは至難の業。毎朝足下でごはんを食べる猫への愛を叫ぼうものなら、愛より先によだれが落ちて猫の頭頂部に直撃する。生活にひとつも影響を及ぼさないところで地味に存在感を主張する。それがわたしにとっての唾液だ。
ただ、上記のことは口を閉じていればどうにかなるのでそれはいい。唾液だくだく人間として、唾液だくだく時の対応は生まれながらに脳内にインプットされているから問題ない。最悪あふれたよだれは拭けばいいのだ。唾液だくだく人間に必要なのは諦めと開き直り、そして清潔なハンカチだったりする。猫の頭だって濡らしたタオルでやさしく拭ってるよ。
あふれ出る唾液とともに強く生きるのが唾液だくだく人間。
だがこんなわたしでも、どうにも対処に困る場面がある。それが歯医者と美容院だ。
唾液だくだく人間にとって、意識がある状態での仰向け姿勢は、危機的状況に陥る可能性が非常に高い。
美容院のシャンプー台は仰向け仕様だ。わたしにはこの姿勢が非常に辛い。腰が痛いというのもあるが、あふれでる唾液を止められないのだ。シャンプー台に頭を預け、台が水平になっていくのと同時にスタートする唾液耐久レース。唾液で満たされていく口内。がぼがぼする口内。この大量の唾液が喉に流れ込めばわたしは溺れる。水中にいるわけでもないのに。だからわたしはのどを閉じる。きゅっとね。一日の終わり、台所を拭き終えたあと最後の確認で蛇口を捻るときのように、きゅっと。
人間の身体構造の妙で、仰向け姿勢は唾液を飲み込みづらい。起立状態の十倍ほどのどが動くし「ごきゅっ」と音がする。これはとても恥ずかしい。あ〜唾飲み込んだ〜と思われてしまう。そんなのいやっ!
ほとんどの人が、「へ〜それぐらいよくない?」とおちのない話に相槌をうつ彼氏みたいなことを言うだろうがそうじゃない。わたしはシャンプー中に、わたし本体に注意を向けられたくないのだ。一秒たりとも担当美容師の意識を奪いたくない。シャンプー中は練習用のマネキン頭部でありたい。髪に、頭に集中してくれ。頼むからわたしを視界に入れないで。と願っている恥ずかしがり屋さんなのだ。
そんな女が「ごきゅっ」なんて音を出せるわけがない。だからわたしはのどを閉じて耐えるのだ。湧水のごとく分泌される唾液を飲み込みたい衝動に。
この「耐える」という行為が本当に辛い。ダメと言われたらやりたくなるのが人間だし、満ちた唾液を飲み込みたくなるのもまた人間だ。こんなときわたしが犬だったら、ぱっかーんと口をあけてイグアスの滝のごとく唾液をこぼしてやるのに。
そんなことをしている間に唾液は満ちる。まじで秒で満ちる。ちょっとした池になる口内。メダカぐらいなら飼えそう。だがわたしは唾液だくだく人間として研鑽を積んできた女。バレずにひっそりと唾液を飲み込むタイミングは体で覚えた。わたしはその時を、まるで獲物に狙いを定めた猫のように身動きひとつせず待つ。
首の付け根に美容師の手が添えられたそのとき、うすい不織布の向こう側でわたしの目はカッ! とひらかれる。時は来た! いざ尋常に勝負!
後頭部を洗うための配置に着いたとき、それが唾液飲み込みチャンスの訪れだ。そっと持ち上げられる頭。そっと動くのど。そっと流れていく唾液。そっと定位置に戻される頭。不織布の向こうで何食わぬ顔して目を閉じるわたし。再び湧く唾液。
唾液との戦いはエンドレスである。
唾液だくだく人間にとって歯医者の椅子も辛い。というか、歯医者がいちばん辛い。美容院の比ではない。だって仰向けでなおかつ口をあけなければいけないのだから。口をひらけば出る唾液。とめどなく、とめどなく。ドナドナド〜ナド〜ナ〜唾液あふれる〜である。
ほとんどの人が、「歯医者って口内の水分を吸う機械があるじゃない。あふれたら吸えばいいじゃない」と劣化版マリーアントワネットみたいなことを言うだろがそうじゃない。わたしは口内の唾液の話をしているんじゃない。のどに溜まる唾液の話をしているのだ。安易に吸引器を想像した人は謝ってほしい。
歯医者での施術はとても繊細だ。ちょっとでも手元が狂えば口内は大惨事。吸引器で吸えるのは口内の水分のみ。きゅっと閉じたのどに溜まった唾液は吸えない。それはそうだ。人体を構成する数多ある器官のなかでも繊細度がかなり上位に位置するのどに、ダイソンばりの吸引力を誇る機械を近づけられるわけがない。万が一にも喉仏を吸ってしまったらどうしたらいいのだ。衝撃と恐怖でびちびち跳ねるであろう患者をどう抑え込めばいいのだ。ここがアメリカでなくても訴訟問題だよ。ということで、歯医者における唾液だくだく問題は切実だ。
歯医者での施術は小刻みな休憩を挟みながら繰り返されるものだ。この小休憩をわたしは心待ちにするのだが、休憩の合図である「うがいしてください」がなかなか頂けないときがある。そんなとき、地獄がわたしの口内を覗き込むのだ。
とめどなくあふれ出る唾液。吸いきれなかった唾液がのどに流れ込んでくる。きゅっと閉じられたのど。溜まる唾液。飲みたい衝動。蹴りたい背中。上げたい左手。
上げろよ、左手。
そう言いたいよね。わかります。でもね、教えてほしいんです。
左手を上げ、どうしましたと問われたとき、わたしは何と答えればいいのですか。
塞がれたのどをひらいた瞬間に、放流されたダムのごとく流れ込んでくる唾液を、わたしはどう処理すればいいのですか。
わかっています。わたしはこう言うしかないことを。
「がぼがぼ……(溺れる)……」
どんな辱めだ。
だからわたしは耐えるしかない。必死に。掴む藁などない状況で。
この時ほど「溺死」が脳裏をよぎることはない。
海にも川にももちろんプールにも行かないし、全身を湯船に沈めて閉塞感を楽しむこともない。溺れることから遠く離れて生きているこのわたしが、歯医者で溺れかけるなんて、いったいだれが想像できるというのだ。だがたしかに、わたしは溺れかけるのだ。
唾液だくだく人間は人知れず戦っているのだ。みなさんの周りにもきっとひとりはいるだろう。あふれ出る唾液で溺れかける人間が。カラオケで、不自然なタイミングで歌を止める人。飴は秒で消えるからコスパが悪いと悪態を吐く人。机に突っ伏して寝たらよだれの海で頬がびしゃびしゃになる人。もしそんな人がいたら、どうか馬鹿にしないでほしい。やさしく肩を叩き、「左手、上げたいよね」と微笑んであげてほしい。唾液だくだく人間にはそれですべてが伝わるだろう。
今日もわたしの口からは唾液があふれそうになっている。このエッセイを書きながら口輪筋エクササイズをしているせいだ。キーボードによだれが垂れそうになるたびに、すばやい動作で口内に回収する作業を繰り返している。これが唾液だくだく人間が背負う宿命なのだ。
いつの日か、わたしの肩をやさしく叩き「左手、上げたいよね」と微笑んでくれる人がいたら、わたしはあふれ出る唾液もそのままに、その人に抱きつくだろう。
あ、垂れた。