風変わりな友人がいる。
私のことを研究したいらしい。
ここで私の生い立ちを、おぎゃあと産声をあげたその瞬間から述べてもいいが、これは全世界が共通で認識している事実だが、私の半生を読んだところで宝くじが当たるでも、石油王にプロポーズされるわけでも、隕石が衝突するわけでもない。ということでそこらへんは割愛するとして、生後数ヶ月の私のあだ名が西郷どんだったことだけはお伝えしておこう。
両親の寝室の長押にどどどんっと鎮座する不機嫌極まりない西郷どん。子供心に(もっとかわいい写真あるだろ……)と思っていたあの西郷どん風ポートレート。しかし成長してもブレることなく写真うつりがすこぶる悪い私は、ある日とうとう(あの西郷どんが数ある写真のなかでいちばんまともな顔だったんだろうな……)と理解したわけである。頭上には不機嫌な西郷どん、横を向いても泣きわめく西郷どんという環境で寝るしかなかった両親には、心の底から申し訳なく思う。
さて、そんな赤子時代を送った私を研究対象に選んだ友人こそが、今回のタイトルにもなったおもしれー女だ。
彼女は生粋のオタクだ。秋葉原や池袋にいるタイプではなく、国会図書館の古典の専門室に朝から晩まで入り浸るタイプのオタクである。骨の髄まで言葉と歌を愛しているというなかなか見ない類のオタク。モンハンで言うところの、アンジャナフの宝玉。出ないよね、あれ。そんな彼女の琴線に触れたらしい私の言葉や表現は、もしかしたら柿本人麻呂や在原業平と並んで国会図書館に収蔵されてもいいレベルなのかもしれない。職員さん、いつでも連絡ください。
他者から研究対象として興味を持ってもらうなんてことは、人生においてなかなか経験できることではないので、純粋に嬉しい。だが私からしたら、こんなどこにでもいる、人生の折り返し地点に立ったばかりの女に興味を持つ彼女の方こそが、はるかにおもしれー女なのだ。ここが少女漫画の世界なら、彼女は間違いなくヒエラルキートップに君臨する俺様系イケメンに目をつけられていたことだろう。萬葉集を胸の前で大事に抱え廊下を歩く彼女を、教室の一角から見つめる俺様王子。視線がねちっこいぞ。ふつうに声かけろい。
そんなおもしれー女が私に言ったわけです。エッセイを書いてくれ、と。
生きた資料を欲するオタクのパワーは強い。研究を語る彼女は電話の向こうで、夜光塗料を全身に塗りたくったかのようにじわあっと発光していたはずだ。それぐらいエネルギーが迸っていた。
ということで、私はエッセイを書くことにした。といってもエッセイの定義がわからないので、日記の延長線上で思ったことを書いていくぐらいだが。
友人のために書くこの文章が、友人以外のだれかの目に止まることがあれば、それはそれで嬉しいしおもしろいなと思う。