人間観察が好きだ。道行く人をぼんやり眺める。すれ違う瞬間にさっと探る。その時々で観察方法は変わるが、私はよく人を見る。この世に同じ人間はひとりといないので、たとえ黒髪短髪眼鏡着用、ポロシャツにチノパンを合わせ足元はもちろん量産型スニーカー、という典型的な地味メンを演出したとしても、どこかに必ずその人の個性が出る。その小さな違いを探すことが好きなのだ。ウォーリーをさがせ、みたいなものだと思っていただければいい。
昨日バスに乗った。目的地に到着するまでぼんやりと外を眺めていた私の目に、自転車にまたがり信号待ちをしているおじさんが映った。おや？ おやおやおや？ 好奇心が疼く。バスが交差点の右折待ちをする数十秒、私はおじさんを凝視した。
おじさんはグレーの下着のようなＴシャツに、やたらポケットの多いベージュのハーフパンツを穿き、おそらく三足千円の中厚リブ靴下とサンダルを合わせていた。腹はぼよよんと突き出ていて、典型的な中年太り。長期に渡る過度の飲酒のせいだろう、顔はむくみ、肌の色もすこぶる悪い。それだけでおそらく高血圧、高脂血症を抱えた糖尿病予備軍だろうことが察せられる。ごま塩カラーの髪は、流行りのグレーヘアと呼ぶにはあまりにも手入れが行き届いておらず、うすく細い毛がふよふよと風に揺れていた。とにかく、絵に描いたような不摂生ライフ満喫おじさんがそこにいた。
ああいうおじさんて、眺めていると何かしらのおもしろ行動をするもんだよなあ。なんて思いながら、なおもおじさんを見つめていると、おじさんがものすごく自然な動きで、自転車の前かごに手を伸ばした。私の視線も前かごに吸い寄せられていく。そして、私は目を見開いた。
ま、まさかの、マダムがかっ飛ばす自転車によく取り付けてある、なんともノスタルジックな柄カバー付きの前かごだ！ 情報量が多すぎる！ 私の目はおじさんに釘付けだ！ かごのなかに右手を突っ込みごそごそするおじ！ 何を取り出すのだおじ！
てれれれってれ〜あんぱん〜。
あんぱんだあああああああ！！！！ 鬼に金棒、虎に翼、おじにあんぱん！ 前かごから出てきたのは、コンビニなどで売っているサイズ感のうすっぺらいあんぱんだった。
取り出したあんぱんに無表情で食らいつくおじ。なんというか、絵になる。ひとくち食べたあんぱんを咀嚼しながら、信号を気にしているおじ。もちろん青になったら動き出すのだろう。自転車で移動するのだから、おじさんの家はきっとすぐ近くにあるはずだ。それなのに、信号待ちであんぱんをかじるおじ。家に帰るまで我慢できなかったのかな？ できなかったんだろうな。さすが不摂生ライフ満喫おじさん、自分の欲望には忠実だ。
さて、ここでひとつの矛盾、というかおじさんの行動を説明するにあたり、書かれていない描写があったことに気づいた人はいるだろうか。さ〜あみんなで、考えよう！ てんてけてけてけてんてけてけてけてんてけてけてけて〜んジャーン！
包装を破いた描写がなかったでしょう。おじさんは、むき身のあんぱんをダイレクトに前かごから取り出していた。そして、それはまったく間違っていないのだ。私は正確にこの目で見たものを書いた。つまり、おじさんは、裸にむかれたあんぱんを、自転車の前かごから掴み取ったのだ。
果たしておじさんは、どこであのあんぱんを買ったのか。そしてどこで包装をひんむいたのか。
たとえば道中コンビニで買ったとしよう。なぜ開封したあんぱんを、その場で食べずに前かごにしまったのだおじ。べつに急ぐ旅ではなかろうにおじ。封をあけたなら、あけたその場で食べればいいじゃないかおじ。
食べられない理由があったのだろうか。ではその理由はいったい何だ。①駐輪禁止の場所だった。そんなこと気にするような男じゃないだろう。気にするほどの細やかな気遣いができるなら、不摂生ライフ満喫おじさんにはならないはずだ。②急いでいた。トイレか？ だとしたらコンビニかスーパーで済ませるはずだ。家のトイレじゃなきゃ落ち着いて用を足せない、なんて言うようなナイーブさはかけらも感じさせなかった。③その場では食べる気がなかった。開封したのに？ おかしいじゃないか。そんな矛盾があるかい？
たとえばパン屋で買ったなら……と思ったが、あのあんぱんのサイズ感や漂う大衆感を見るに、あれはどう考えても、コンビニやスーパーの棚にレギュラー陣として君臨する、ちょっとアルコール臭のする一個百円のあんぱんだ。つまり、パン屋で丁寧に小分けしてくれる、あの白いジャストサイズの紙袋から取り出した線は消える。
次に、包装なんてそもそもなかったと仮定しよう。このご時世、そんなあんぱんは存在しないだろう。不衛生にも程がある。でももし、もしも包装なしのあんぱんが前かごに突っ込まれていたのだとしたら、そのあんぱんはいったいどこで売られていたのだろう。これは逆に謎が深まってしまう。では手作りだったら？ さすがに手作りでも袋に入れるだろう。却下。
ねえおじ。あなたの右手にあるあんぱんはどこからきたの。ねえ教えてよおじ。ねえってば、もぐもぐしてないで教えて。おじ……お、ちょ、ちょっと、ちょっとまってバス！ まだ通りすぎないで！ おじが！ おじがまだ食べてるでしょうが！
おじ！ あんぱんはおいしいかあっ！