偽乃木坂46とエセザイル

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歯を食いしばる癖がある。自分では気づかないうちに、どうやら相当な食いしばりをしているらしい私は、忘れたころに急に奥歯やその周辺の骨や筋肉の痛みに襲われる。コリは近所の整骨院に駆け込めば解消してもらえるが、歯の方はもちろん専門家に診てもらわなければいけない。噛みしめすぎて歯が埋もれてたらどうしよう……欠けてたらどうしよう……という「そんなことは起こらないでしょうよ」という心配は、プロにさくっと現状判断してもらうに限る。心配症には専門家の意見が何よりも効くものだ。

そんなことで、近所の歯科医院に予約を取りました。最近できたばかりの、白を基調としたどちらかといえば大人向けのスタイリッシュ歯科医院に。

いざ、久しぶりの歯医者さんへ。れっつらごー。

院内に一歩入れば、そこはいかにも高級なルームフレグランスの香り漂う異世界。どどんと鎮座する受付カウンターで微笑む受付のお姉さんが迎えてくれた。ぷりぷりの肌、つやつやの髪、美しい歯。ぎゃあかわいい! この時点で挙動不審になる私。ほぼ部屋着で、シミしわを隠すつもりもない、どすっぴん一本勝負で来てしまったことによる場違い感。目の前にいる戦闘力530000の受付嬢と同じ目線に立つことがおこがましい。帰りたい。平服でお越しくださいという言葉を信じてその通りにしたら、自分以外の全員がフォーマルだったときのようなやっちまった感。帰りたい。だが百戦錬磨の受付嬢にはそんな私の事情など関係ないのだ。こちらへどうぞ〜とにっこりされたら言うとおりにするしかない。捕えられた宇宙人のように、きょときょと視線を彷徨わせながら椅子に座り、保険証提示に問診票の記入を言われるがままに済ませていく。私の一挙手一投足を目の前に座り見つめる受付嬢。ま、まぶしい……! 圧倒的な陽のパワーがまぶしい……!

必要事項を書き終わったころにはすでに、浜に打ち上げられた魚のように力なく呼吸するしかなかった。治療開始前に瀕死だ。あちらでお待ちくださ〜いと、陽のパワーに満ちた声に押されるようにふらふら待合エリアに移動すると、そこは「さあ! 日の光を浴びるがいい!」と言っているかのようなガラス張り空間。燦々と注ぐ自然光が白い壁と廊下をぴかぴか照らしていた。ガラスの壁に面してずらりと並ぶのはひとりがけのソファで、プライベートスペースを確保するためか、ある程度の間隔をあけながら配置されていた。ここは本当に歯医者なのか……? 高級エステサロンとかの間違いでは……? と、予想以上のレベルの高さにビビり散らかす小心者の私。ま、まぶしい……物理的に! むだに姿勢よく、椅子に慣れない武士のように浅く腰かけて、ここでもまたきょときょと視線を彷徨わせながら呼ばれるのを待つ。帰りたい。いますぐ帰りたい。ソファに寝そべりせんべい食いながらバラエティ番組を見たい。なぜ私はこんな『選ばれしハイセンスな民専用』のような場所に来てしまったんだ…! 予約したからだ……! 「えー? どうせ行くならきれいでおしゃれな方がいいじゃなあい?」なんて鼻ほじりながらネット検索していた私を殴りたい……! お前なんて『技術は確かだが先生が怖くて子どもが寄りつかないと評判の昔ながらの歯医者さん』がお似合いなんだ……!

どんなに悔やんでもその時はやってくる。渦さ〜んと呼ばれた私はぎこちなく立ち上がり、声がした方を見た。目の前で呼ばれていた。そして私は衝撃を受けた。

そこには気絶しそうなほど見目麗しい歯科衛生士がいた。くりくりの大きな目、バチバチに上がった長くボリューミィなまつ毛、きらきら輝くまぶた、とぅるんとぅるんの髪、握りこぶし大の顔、内臓は入っているのかと疑いたくなるほどの華奢な体。ぎゃああああああかわいいいい! ここは劇場か? 私はアイドルに会いに来たのか?? 次元の違う圧倒的な美は緊張なんて吹き飛ばすものだ。興奮で心拍数が上がり鼻息が荒くなる私。マスクしていてよかった。彼女はいかにも乃木坂46にいそうな容姿をしていた。しかも二列目に位置しながら、明らかに一列目を食う輝きを放つタイプ。戦闘力は530000の二乗。強い。めちゃくちゃ強い。こんにちはと微笑む乃木坂さん。ま、まぶしい……! でも隠しきれないヤンキー風味は安心できる……! そこが二列目の強み。

処置室に案内され、初診のためまずはレントゲンとの説明を受ける。ふむふむ。声までかわいいな。撮影室に連行され、周囲をぐるぐる回る機械の動きを見ながら太陽の気分を味わい、再び処置室へ戻り診察台に座る。そして思った。乃木坂さんのみならず、スタッフ全員がかわいいぞ……。やはりここは劇場なのか? 目の前に展開された、良いのか悪いのか判断のつかない自分の歯のレントゲン写真を見せつけられながら、歯の痛みよりこの異空間の方が気になってきた。だって絶対に院長の趣味で採用された精鋭たちなんだもん。露骨に顔がいい人だけを集める院長の潔さに、私は内心拍手を送っていた。こんな歯医者を求めていたのだよ。物理的にまぶしいとか言ってごめん。

まずは院長の診察を、ということで待つこと三分。このときの私は年甲斐もなく、渡り廊下で憧れの先輩を待つ女子高生のようにどきどきわくわくしていた。「ねえねえ、こんなにかわいい子がいる医院なら、院長先生もかなりのイケメンなんじゃなぁい? 自分の顔がいいから周りに配置するのもかわいい子なんでしょう? やだぁ〜イケメンに口のなかを見られるのは恥ずかしぃ〜」なんてマスクの下で口と頬が弛緩しまくっていた。すみませんね変質者みたいで。

そして背後に人の気配。きた!

「渦さんこんにちは!」なんて爽やかで明るい声。声だけでわかる。白衣の下に文句なしの美しい筋肉がついた体を隠した、体育会系男子だ! 私の斜め後方に座った院長。きめ顔作って振り向く私。いざ、ごたいめええええエ……セザイルゥゥゥゥゥゥゥゥ!

ジェルでごりごりに固めた黒髪(もちろん七三)、黒々しく光る肌、真っ白い歯。人物紹介ではまず間違いなく「趣味は筋トレ。愛車はベンツ。レモンサワー大好き。メンズエステの広告塔してます」というテロップが表示されるであろう男がいた。ま、まぶしい……歯が! 圧倒的エセザイル感。すごい。イケメンではない。だが強い。みなぎる自信、隠しきれないナルシシズム。この男が、乃木坂さんを筆頭に精鋭たちを選び抜いてこの帝国を作り上げたのか。

きらりと輝く歯を見せつけるように、エセザイルが口を開いた。歯ぁ白っ!

「はじめまして。院長のエセザイルです」

「あ、あ、は、はじめまして」

挨拶だけで患者を引かせるエセザイル院長。やべえの来たな。だがここまで来てすごすご引き下がるわけにはいかない。こっちだって歯の痛みという困った事態に陥っているのだ。たとえエセザイルであっても、プロであることに変わりない。治してもらおうじゃないの。

「なにか気になる症状はありますか?」

「食いしばりがひどくて、奥歯周辺が痛いです」

「食いしばりですか。大丈夫ですよ」

んー? なにが? 痛いよ? わりと真剣に痛いよ? 心のなかで小首を傾げつつ、私は言葉を重ねる。意思疎通って大切だもんね。

「歯軋りもすごいらしくて、前歯も真っ平になっているほどで」

「大丈夫ですよー」

んんー? おーいきこえてるー? 奥歯がー痛いのー。私の訴えをなかったことにするつもりなのか、エセザイルは「ちょっといーってしてください」と歯並びの確認を始めた。ティピカルジャパニーズわたくし、いーって言われたらいーってしちゃいますからいーってしました。いーって。

「うん。きれいですねえ。いいですよ」

見事なまでの奥歯スルー。ねえ。奥歯。奥歯なのー。奥歯が痛いのー。ねえってばー。歯並びじゃなくて奥歯ー。前歯じゃなくて奥歯を見てー。奥歯を羅列しすぎて奥歯がChoo Choo TRAIN を踊り出しそうだ。フレッセボンが聴こえる。

「ではあとは衛生士にみてもらってください」

んんんー? 終わり? 奥歯の痛みを抱えたままの私を残し、エセザイルは華麗に去っていった。いまだかつてこれほど奥歯をスルーされた女がいただろうか。そしてこれほど奥歯をスルーする歯科医がいただろうか。エセザイル、恐るべし……。そしてエセザイルが去ったあと、すかさずやってきた乃木坂さん。軽やかな「お疲れさまでした」が沁みる。

「あの、食いしばりで歯が痛いんですよ」

「マウスピースとかやってます?」

「あります。でも面倒でやめちゃいました」

「うーん。じゃあ痛みが続くようなら再開した方がいいかもしれないですね」

「そうですよねえ」

エセザイルとするはずだった会話を乃木坂さんとしている。なぜだ。果たしてエセザイル登場の意味はあったのだろうか。まさか、あの黒光りする肌と真っ白い歯のコントラストを見せつけに来ただけなのか? だとしたら大成功だよ!

結局、奥歯の痛みはまったく解決しないまま、歯のクリーニングをしてもらって終わった。わかってますよ。食いしばりにはマウスピース。それしかない。

エセザイルの衝撃を受けたことで、もうやーめた! と思いそうなところだが、私はそれ以来せっせと件の歯科医院に通っている。なぜならそこは担当制で、乃木坂さんが毎回私の歯をクリーニングしてくれるからだ。定期的に癒しを与えてくれる乃木坂さん。あなたの笑顔を見るために通ってます。ちょっとダルそうな話し方がまたかわいい。そのうちお菓子の差し入れとかしちゃおうかなぁ、なんて抜け駆けするファンの心境に陥ってます。あの歯の白さはうさんくさいが、偽乃木坂46を作り上げたエセザイルには感謝しかない。

そしてあれ以来、私はエセザイルを目にしていない。きっと彼は今日も、国力強化のため新たな乃木坂さんを探しにベンツを乗り回しているのだろう。

@uzu_uzu
エッセイ書いてます。いかにくだらなく、いかにアホな内容を提供できるかをまじめに考えています。 ごくたまに創作もするよ。