もう半年経ったけど今年の目標みたいなもののことを考えていて、こういうものを考える時は具体の集積を抽象化するような形を歩むことが多いのだが、具体の課題を考えると最近のトレンドを大きく反映することになる。では最近のわたしはどうなのかというと、向かうべき課題に対して取り組むために脳内物質の欠如と、心身をどうにか目的地に向けてコントロールする手段について管理できていないことが目下の課題となっている。というか忙しいときって大体そういうことを考えていて、目先の最適解を追えていないことから遡って自分の生活を御せていないことについて、足腰の滋養の足りなさみたいなものをひしひしと感じていることが多い。要するに自分をコントロールし、内外にとってより良い状態を実現したいということなのだが、より良い状態とはどう定義すべきなのだろうか。自分の欲求や社会的名声、周囲との関係、色々を衡量したところのいったんの着地点としては、「体力が充分である、意思に基づいて選択している、機嫌が良い(もしくは悪かったとしても、その機嫌の悪さを他人に押し付けない)」の三点が水準を超えていて、かつ下回る可能性が充分に低い状態を実現するのがいいという結論に落ち着いた。体力がないと動かない手があること、体力が他項目に大きな影響を与えていること、停滞は精神に悪い影響を及ぼすがその本質は停滞に意思決定が介在していない点にあること、機嫌の悪さは環境に悪影響を及ぼし、環境の不和は機嫌へ悪影響を及ぼすという循環が強くみられることなどから、いま自分の心身を強く揺さぶっている要因は相当量がこの輪の圏内から生まれている気がするし、今時点では妥当な着地だと思っている(そりゃ、今時点ではそう思うのだけど)。並べて整理してみるとこれは心身それぞれに余裕があり、かつ自他の境界がくっきりしている状態と整理することもできそうだ。実際のところ、すべての逆を得た自己を想像してみると分かりやすいのだが、「タフネスがなく、流されるままで判断の分岐点を放棄しており、細かな物事で常に期限が悪く、外から見てもイライラトゲトゲしている」バーチャルシロクマを考えるとちょっと引くほど一緒に居たくないし、第三者として見たら(この人あんまり幸せそうじゃないな……)と感じる気がする。たぶん幸福を手にするにあたっても幸福だと思うことが大事であり、幸福だと思うためには自覚のレベルまで獲得した"満たされている動作"をしている自分を俯瞰することが大事なのだろうし、目標も立ったところでしばらく意識してやってみようかなと思った。まあ突き詰めていくとより困難な状態→咀嚼→余裕の拡張の繰り返しになって人間強度実験みたいになるんだろうけど、それもまたアイカツだねみたいなことなんじゃないかな。
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