ネットで見かけた話。ある女性が新宿中村屋で食事していたところ、となりに座っていた中国の女の子がスマートフォンの決済手段しか持ってなくて会計に困っていたから、代わりに払ってあげた。すると女の子は何度も感謝し店を出ていったが、しばらくしたら走って戻ってきて苺大福を買って渡してくれたという。この話を読んで、遠くから日本まできてくれたんだから良い思い出にしてほしいという女性の気持ちと、感謝を伝えたくて苺大福をプレゼントした女の子の気持ちの両方がはっきり浮かぶようで、思わずほっとする話だと思った。
とはいえ同時に、これに対するネットの反応には「金銭が関わる話だから美談にしてはいけない」「旅先の決済手段くらい調べてくるべきで、いい話で終わらせないでほしい」というのもあって、それはそれでわからなくもない。たぶんこうした反応は正しいかどうかではなく、聞き手がどういう価値観で生きてきたか、生きているかによって判断の分かれるタイプの話でもあるんだろう。この話が中国の子もお金を支払った側も英語でコミュニケーションが取れる人だったから成り立った話だという点も重要かもしれない。一般的に人は知識や能力があればあるほど「助けて、助けられる」価値観のなかで生きられる確率が高まるし、知識や能力を持たないと「騙し、騙される」状況に追い込まれる可能性が高くなる。「騙し、騙される」価値観でずっと生きていると、性善説的な話に疑いの目を向けるようにもなるんだろうな。