晴れの日だったけど外はまだ寒いので、洗濯して掃除して料理して、あとは本を読む一日だった。井上ひさし『新版 國語元年』を読んだのだけど、これがものすごい作品(戯曲)で、興味深い主題はもちろん、構成も人物造形もすばらしく、とにかく衝撃を受けた。
舞台は明治初期で、藩境を越えて人々が交流しだしたものの、方言差が大きく会話に難があった時代。主人公の南郷清之輔は文部省から「全国統一話し言葉」の制定を命じられ、妻やその父、三人の女中、書生、さらに家に押しかけてきた女郎や自称国学者、はてには忍び込んだ泥棒といった面々を協力者にし、その難題にとりくむ……というストーリー。おもしろいのは、清之輔は長州の出身で、妻は薩摩人、ほかにも江戸の山の手や下町、羽州米沢、大阪、京都、会津なので登場人物のお国言葉がばらばらな点。そのせいで話が通じたり通じなかったりするのだけど、本文ではそれら方言はルビを使って処理されている。多種多様な方言が入り交じる会話劇を戯曲のかたちで読ませるのだから、これだけでもたいへんな労作だ。
作中には「国語」をめぐって気になるトピックがたくさん出てきた。「全国統一話し言葉」という難題に対し、書生の修二郎は「いっそ英語を全国統一話し言葉にしたら」とこぼす。解説によるとこれは当時、のちの文部大臣となった森有礼が「英語採用論」を『日本の教育』で示したことがあるという史実が元ではないか、と指摘していて、森有礼が英語公用語化論の急先鋒だったのは初耳だった。ほかにも劇中の唱歌と国語教育の関係だとか、「星の世界」で知られる賛美歌が「星あかり」という訳でさりげなく紹介されている点や、江戸時代における参勤交代とそれに伴う各大名および小名の本江戸言葉の習得が、やがて東京の言葉が共通語となる下敷きをつくっていたのではという視点もおもしろい。
戯曲の最後は清之輔が吉原の花魁言葉を参考に勝手に「文明開化語」をつくり、それがもとで狂っていくさまを描いている。この文明開化語がかなりおかしくて、悲劇的な展開なのだけど、どこかユーモラスな風を感じる終わり方だった。井上ひさし自身は色々問題のある人物だけど、作品は素晴らしいね。