ある言語からある言語への翻訳は、ただ文中の語彙を置き換えてそれらの順番を入れ替えればできるというような単純なものではない。それはむかしのネットの翻訳ツールの出来を知っていれば容易に分かることだけど、初学者が実際に文章を翻訳するときは、たいていみな最初に単語の置き換え、入れ替えをためしてみて、それでうまくいかない部分が出てきたらあらためて悩む、みたいな手順になりがち。
文法だけでなく語彙もけっして一対一の対応関係が成り立つわけではないから、中学や高校時代はそれで英語には苦戦させられたなあ。母国語と外国語の関係がどういうものか、本質的な部分でわかっていなかったんだなと思う。
『ことばの発達の謎を解く』で「心的辞書」という言葉が出てきて、いい表現だと思った。外国語の単語の意味は、それ単体では決まらないことが多い。野球とbaseballくらいなら間違えようはないけれど、たとえばredという単語の意味は、その言語を話す人々がどこまでを赤でどこからをオレンジやピンクとしているかによって、その範囲が変わってしまう。だから赤という言葉の意味は、オレンジやピンクの意味も知らなければ正しく機能しない。そこで子どもは、単語を語彙という巨大なシステムのなかに位置づけて、心的辞書とでも言うべきものをつくり、更新していくのだとか。大人が外国語を学ぶ際にも示唆的な話だと思った。