Twitterのアカウントを消した。
気を許している数少ない友達だけの身内アカウント。気を許しすぎたあまり、心の弱いところ、本当に些細なこと、甘えたことばかり呟いてしまう。ツイートの量と心の健康は反比例すると思っているけれど、病んでいるとき、無造作にツイートを量産する行為自体が自分を嫌いになる原因になっていた。ずっとやめなきゃと思っていてもやめられず、自制が効かなかったので、もう甘えられる場所ごと消すことにした。その瞬間に感じた喜びや不満、プラスな感情もマイナスな感情も、もっと自分の中で咀嚼して消化できるようになりたい。だってもう汚いところも全部を曝け出してそんな自分を認めてって叫んでいい子供じゃないから。優しい友達はそれでもきっと私と一緒にいてくれるけどね。愛想を尽かされる前に、見捨てられる前に、いい歳して自己承認欲求をインターネットで満たそうとするモンスターおばさんになる前に、私は変わらなくちゃいけない。共有していいことと、私だけで消化すべきものの区別ができるまで、少しSNSはおやすみ。私が私ごと愛せるように。そして、一緒に住んでいる家族がいるならば、些細なことはそこにいる家族と共有していきたいな。
昨晩、友達がすごく嬉しい言葉をくれた。
私は小さい頃から「何だかんだできる子」として認識されているようで、自己肯定感が下がっているときに、でも大丈夫だよ、〇〇ちゃんならできるよって褒めて慰めてもらうことがほとんどだった。でも昨晩、意識は高いのに、中身がポンコツなのが可愛いよね、ダメなところも含めてそこが人間臭くていいよって褒められ方をしたのが嬉しかった。私のダメなところをきちんと認めた上で、それでも好きだと言ってくれるのが嬉しかった。でもそれが私がダメなままでいい理由にはならない。逆に、こうやって認めてくれる人がいるからこそ、見放されないように頑張ろうって人生にやる気が出てきた。届くことはないかもしれないけど、本当にいつもありがとう。ねえ、私はあなたに温かい言葉をたくさん貰っているけれど、何か返せているのかな?最近どんな友人でも、一方的に貰っている側のように感じてしまう。片方が依存している関係は何かの拍子に崩れてもおかしくないから、私も自立して、余裕を持って、友人に優しく何かを与えられる人間でありたい。
明後日はついに修士論文の提出日。
もうどう足掻いても私の修士論文はこれで終了。修士生活の反省はまたいつかの機会に。