母方の祖母は私が子供の頃に亡くなった。
心筋梗塞で半身不随になって母と祖父が一生懸命、介護していた記憶ばかりが残っている。
なので祖母と私が会話をした記憶はほとんど残っていないのだけど、幼少期のたった一つの出来事が40年くらい経った今でも、忘れられない。
そんな思い出を、バイロン・ケイティのワークを受ける機会があったので、そこでじっくり振り返ってみることにした。
思い出の出来事
おばあちゃんから近所の八百屋さんで「ネギ」を買ってきてと頼まれた。
私にとって初めてのお使いだったかどうかの記憶は怪しいけれど、この八百屋さんは何度も行っているのでお店の人も顔見知りだったし、1人で買い物をすることに不安はなかった。逆に1人で冒険できる感じでワクワクしながらお使いに行った。
八百屋さんでは「ネギって、長ネギ?玉ネギ?どっち?」と訊かれて、確かまだ小学校に上がるか上がらないかの頃の私は「どっちだろう?『ネギ』って言われた!」みたいな答えをしたと思う。そもそも玉ネギだとか長ネギだとかの種類も正直よくわかってなかった気がする。
「それじゃあこっちかなぁ」八百屋さんから玉ネギを渡されて、私は買って帰った。
おばあちゃんはその玉ネギを見るなり「なんで長ネギじゃないの?ネギと言ったら長ネギでしょう!!!」といきなり怒り出した。
今の私だったら「知らんわ!だったら長ネギって先に言えよ!」って逆ギレできたと思う。
でも当時の「おばあちゃんのお手伝いを1人でやってやったぞ〜わーい!」みたいな能天気な思考の幼い私にしてみたら、怒られることが納得いかない。
「せっかく買ってきたのになんで!?!?」
「なんでネギはこれじゃなダメなの!?!?」
結局、納得いかないまま叱られて、大泣きしてふて寝したような気がする。
そして、おばあちゃんが長ネギを買い直しに行ったんじゃないかと思う。
記憶はその辺りまでしかない。
きっとおそらくこの出来事の後からだと思う。お手伝いをするのが嫌になったのって。だって失敗したら怒られるし、褒められもしない。
その後、どんどん役立たずの子供に育っていったような気がする。
この思い出をバイロン・ケイティのワークで丁寧に振り返ってみた
私の持つビリーフ、<期待には必ず応えるべき>とか<正解じゃなきゃダメ>とかの思い込みの原点にある経験はこれだと思う。そこでワークセッションにかけてみたのだけれど、いろいろな気づきがあった。
そもそも私は、お手伝いしてほしいという祖母の期待には十分応えているし、当時の私は私なりにお手伝いを頑張ったのだ。今の私からしたら、当時の私の頑張りは認めたい。
結果買ってきたものは違ったけれど、でも今思えば、八百屋さんだってネギと言われて玉ネギを出したのだから、<ネギ=長ネギ>というのは、祖母のルールだ。祖母が正解を決めてるだけだ。
私はこれまで<お手伝いしたのに理不尽に怒られた悔しい経験>だと思っていたけれど、こうして一つ一つをひもといて振り返ってみると、40年も根に持っていたことが、今では<大人の理不尽に振り回された笑い話>のように感じる。
視点を変えたことで、おばあちゃんとの数少ない思い出が、ちょっと良いものになったような気がして嬉しい。こうやって私の持っているいろんな暗い思い出を少しずつひもといていったら、もうちょっと気が楽になるんじゃないか、とか、そんな希望を感じたワークの時間だった。
よき。
さらに今の実生活にこのワークで出てきた言葉を当てはめてみると、いろんな気づきがあったのだけれど長くなったのでこの辺で。