久しぶりに中学校の理科の教科書を近くの書店で購入して読んでいます。基本的な概念を考えたりする良い気分転換になっている気がします。
うまくいえないですが、今思うと、こうした教科書を中学生として使っていたときは30m走をひたすら反復練習させられていたような感じだった気がします。
「走る」のが上手というとき、「長距離走が上手い」「野球の走塁が上手い」「誰かを追いかけるのが上手い」「山のなかを走るのが上手い」等々色々な上手さがあるなか、あの頃はひたすら30m走をさせられてそれが「走る」ことだと思わされていたし思っていた気もします。そして「走る」ことは自分には向いていないと判断していた気がします。
一方で、数十年経って自分が本当は「走る」ことが好きであることを発見しています。それはもちろん30m走ではないのですが、「走る」ことをもう一回考えたくなったときに、やはり30m走をゆっくり丁寧にする重要性も感じます。
30m走をあんなに何回もする必要はあったのか。それはある種の消耗戦なのではないか。みたいなことを思ったり思わなかったり。「走る」ことの多様性を中学校の段階で感じられるような教育はあるのでしょうか。