発声練習

瑣事
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ところで、自分の声がかなり嫌い。ぼそぼそしゃべると通りが悪いので誰かに聞こえる声で話そうとすると喧しく、耳障りである。訛り由来のくぐもった滑舌の悪さがある。耳は良くないので、よい発声、よいスピーチを真似ることはかなり難しい。

だけど通話は嫌いではないし、どちらかといえば会話の方が好きといえる事もある。文よりも声のほうが抑揚をつけるし、自分の思ったことを幾分も素直にのせられる。会話をして、何か行き違いがあったら、まあそれは仕方ないという諦めと楽観が自分の中にある。実のところ、文章はそういうわけにもいかないことも多い。

書き記した言葉の中から何かを見られるとき、一体何がわかるのだろうと思う。だけど、話した中に勝手に見られる自分については、それがどんな形であってもさほど抵抗がない。

発声って自分の腹と喉を使って、文字通り身体の内側から起こるものだから、心と言われるような内なるものが明け透けになる(ように見られる)ことについて、なんら躊躇いもなく受け入れられているのだろうと思う。

だから自分の声は嫌い、スピーチは下手、ラジオのようにユニークで面白い語りができるわけでもないが、居直れる。

話ぶりの具合を確かめたくてスペースの録音を使ってみたら、案の定、人に聞かせる話し方をしていなくて酷いなあと思いました。