イメージソング・和歌

瑣事
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短歌ってうただからイメージソングということばをそのまま適用していいじゃないという意識がある

恋しとはたが名づけけむ言ならむ死ぬとぞただに言ふべかりける(『古今和歌集』清原深養父)

ホワイトだなあと思う。

情景のなかに心を潜ませるような奥行きのある歌はきれいで(読み応えもあるかのようで)好きだけど、現代短歌にも通じる……肉薄する心理をぶつけた歌が遥か昔にも(当然)あって、その歳月に重ねてしまう。

きのふまでかをりし花に雨すぎてけさはあらしのたまゆらの色(藤原定家)

これは、チレッタ。花が散るさまに「つらけれ」とか「かなしき」といった詞の連なる歌はあまりしっくりこなくて。つい昨日まで香っていた花の匂いが嵐によってなくなってしまった、残り香さえわからないようなところに、やっとチレッタを見ることができる。

いつのだか忘れたけど、が件名で餃子の羽根がきれいな添付(岡野大嗣『たやすみなさい』)

東の魔法使い。彼らの親密さのオープンでない部分はLINEのグループにより近いと思うけど。その限られた関係のなかにある気負いのない親しみがうたわれるとしたらこういう形であってほしい。ネロが見せている、といったイメージは特にない。(やりそうだとは思う)ファウストなら任務先で買ってきたお土産を、ヒースならブランシェット城から帰りがけに貰ってきたものを、シノなら森の中で見つけたものを、共有していそうで。こういう間柄の人たちってメールがないなら電話で、電話がなければ…となんだかんだで知らせてそうで、そこにまとう空気に「らしさ」を感じている。