「感じたくないことも感じなきゃ、何も感じられなくなるから」
好きな曲の歌詞の一部。
生きていると2対8くらいでいいことと悪いことがあると思ってる。kvi babaは9割が悪いことって言ってたけど。(Too But Day But...て曲を聴いてみてね)
何が言いたいかというと、人生の多くが悪いことでできていて、そんななか僕たちは必死に生きている。
悪いことがあるってことは傷ついたり、落ち込んだり、悲しんだり、必ずそういった負の感情が付き纏っているということでもある。
一方で、正直日常生活を思い返してもそんなに悪いことが起きてる気もしないし負の感情だらけってわけでもない。
おそらくそれは、自己防衛的にそういった感情に気づかない"ふり"をしているからだと思う。無意識に。
気づかないようにする方法なんていくらでもある。例えばお酒を飲む、友達と遊ぶ、仕事に打ち込むなどなど。
(余談だけど、僕はお酒が飲めないから本当は大麻でも吸ってハイになりたい。それができない日本はクソだ)
どれも意識を遠ざける行為。
ただ、個人的にそれらの行為には副作用があると考える。
冒頭にも記した、何も感じられなくなるという副作用。個人的な解釈だと、人の感情は喜怒哀楽のバランスで成り立っているが、そのバランスが崩れ、かたや関係のなさそうな喜・楽の感情にも影響を与える。
要は常に心のどこかに欠陥がある状態に陥ってしまうということ。
もう少し深掘りをしてみる。
村上春樹の木野という短編でまさにそれが描かれている。
傷つくべき時に傷つくことができなかった男の話だが、最終的には己の傷を認識しその傷の大きさを知り向き合うこととなる。
一見傷の大きさに気づき、それと向き合うのはとても苦しい結末のようにも思える。ただ、そのまま逃げ続け、一生向き合うことがなかった時、これが本当の地獄なんだろうなと僕は感じた。
傷と向き合えなかったその男を待ち受けていたのは、自分の心が「中身のない虚ろな心」と化してしまう悲しい結末。
言い換えると、自分自身として生きている証拠である感情・感覚を失った状態である。
想像しただけでも恐ろしいなと僕は思った。
とにかく、これは僕自身の感覚的な話だが、何事にも動じない姿に憧れを抱いたりかっこよさを感じることもあるが、それと同じ、もしくはそれ以上に自分の感情に従いながら生きるというのも素敵なことなんだと思う。
そしてそれができる人は本当に強い。
強がって生きた先なら待ち受けているのは、底知れぬ闇だと感じた。
着地点を見失ってしまいそうなので話を戻すが、辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、それらの感情と向き合う8割の時間もまた、生を感じる時間であり尊いのかもしれない。
そう思うと1人寂しい夜も、なんだか乗り越えられる気がする。