カメラを止めるな

wantaiga
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部屋にある卒アル、たまに開きたくなる。

Googleフォトに溜まった写真、たまに見返したくなる。

写真って僕の中では記憶の一部である意味合いが強い。それを見ると一時的に過去と繋がるような感覚に陥る。

インスタグラムに載せてるそれっぽい写真も全て記録。つまり記憶に残すためのもの。

昨日行った、中平卓馬の写真展では「記憶」としての写真ではなく、レンズを通してなにかを伝える、表現するアートの一面を強く感じた。

たまーに写真展とか行ったりするけど、正直あんまりしっくりこないことが多かった。

ただ、昨日の中平卓馬の写真からは、明らかなメッセージ性や表現の色を強く感じたのだ。

前提、写真ってすごく身近なもの。

だけどあんまり詳しくないし、写真展は美術展ほど足を運ぶ機会もない。

なので詳しいことはわからないけど、おそらく記録としての写真って予定調和で成り立っていて、それを覆すことをレンズを通して行おうとしたのが中平卓馬。

なんかすごそう。

一方で、カメラを持ち歩きカメラを通じて表現することは、うちから出てくる何かを昇華させる行為というよりはむしろカメラに行動を支配されてる、手段の目的化のようにも思えたり。完全に個人的な考えですが。

残念ながら結論はないが、そう言った矛盾のようなものを感じつつ、写真による表現も面白いし何だか深そうだなと思ったりもしたので行って良かった。

あと、なんでフィルムカメラが今の時代に流行るかわかった気がする。

フィルムカメラ独特な色味とか、あとは流行らせた人がいるとか、そんなところでもあると思うけど、カメラも発達し高画質で誰でも"きれい"な写真が撮りやすくなった今、敢えてその"きれい"な写真から距離を置き自分だけの写真を撮りたいというある種表現への欲求的なものがフィルムカメラに魅了される人を増やしているんじゃないかな。

なんかフィルムカメラで撮った方が、自分だけの写真って感じがしない?

そう思ったりした。

影響されやすい僕は、フィルムカメラ、買ってやろうと思ってる。で、記録だけじゃない表現の写真にチャレンジしてみたいな。

@wantaiga
ほとんど日記的なね。