古代ギリシャの名言か何かで「近くで見れば悲劇だが、遠目に見れば喜劇」という言葉があるらしくて、それいいなって思っています。
僕自身、過ぎ去った悲劇を人に話すときは、ついつい笑ってしまうような気分になって不思議とおかしいのです。悲劇を被った当時は、感情的にはどん底で、立ち直れそうにないなっておもってることでも、しばらく立って思い出になってしまえば喜劇に思えてきます。
このことを意識的に使ってみたいなと思っています。どんな悲劇が起こっても、自分を客観視して、まるで舞台上の役者のように考えて、周りの人も登場人物だと思ってしまって、喜劇に変えられないかと。
昔これと似たことを試したことがあります。似ていると言っても、悲劇を喜劇にするわけではないのですが...。めちゃくちゃ寒い朝。寒さを感じるというのは体を守るための防御反応なので、動きは鈍るし布団に入りたくてしょうがないです。そんなとき、自分をゲームのプレイヤーに見立ててしまいます。プレイヤーは寒さで震えて動きが鈍っていますが、それを操作する側からしたらそんなことはどうでもいいです。とにかく着替えろ!朝ご飯食べろ!学校にいけ!凍えようが、風をひこうが知ったことではないので、とにかく動いてもらいます。そうするとなんだかんだで嫌なこともできたるするんですよね。
これに似たことをできないかなと。例えば眼の前に、めちゃくちゃ激昂している上司がいたとして、それをどうにか笑いにできないか。コントにできないか。自分も上司もコメディアンでコントを演じていると思えないか。そうやって、自分を自分から切り離して遠目から傍観できないか。できたらいいな。
少し前にテレビで芸人の川島さんが、態度の悪いカレー屋の定員に対して「すごいなぁ!」と突っ込んでしまったという話をしていました。見習いたいなぁ。そういう感じでツッコミたい。自分も釣られて機嫌を悪くするとか、感情的になるとかすると傷つきやすいし。自分を切り離せたら傷つかずになんとか切り抜けられるんじゃないかな