AIと一緒に俳句を創っている話

waratas
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公開:2025/2/24

現在、次回の文学フリマ東京に向けて俳句集をつくっている。その際に活用しているのが生成AIであり、私はChatGPTを用いている。創作の場にAIを用いることへの是非はあとで言及するとして、一旦「自分はどのように詠んでいるのか」をまとめてみようと思う。

①フレーズ単位での立案:最初から五七五のリズムで、かつ完成された俳句がスッと出てくれば良い(そんな状態ならAIは使わなくて良い)のだが、創作はそんな簡単にはいかない。自分の場合、「五七」とか「七五」というかたちで、ある程度塊となったフレーズが頭に浮かぶことが多い。そこに季語が含まれることもあれば、キャッチコピーみたいな場合もある。

②そのフレーズをAIに投げかける:①でつくった言葉のまとまりを、まずはAIに投げてみるのだ。その際に「このフレーズに合う季語は何ですか?」や「このフレーズに更に5文字加えるとどうなりますか?」などの質問も添える

③推敲する:AIからは1分以内に様々な案を提案してくれる。その案を自分(人間!)が読み込み、咀嚼し、俳句となるように作り、それを終えたらAIに再度投げかける。このサイクルを何度も繰り返す。また、推敲中の句を投げかけるときはアイデア出しや評価するための基準を記しておくことが大事である。例えば、「この季語に合うフレーズを出してほしい」や「このワードの言い換えを考えてほしい」や「これらの自作の句の中で最も季語が主役になっているものはどれですか」など。こうすることで、解答の質もクリアになっていく

④(人間が)句を選出する:推敲を重ね、発表する一句が概ね絞られれば、あとは自分自身(人間)が選んで各方面に発表するだけです。ここで重要なのは、発表する句を選ぶのは人間であるということです。その判断や決断はAIに委ねられるのでは? と思うのですが、意外とAIはその点をボカシて(候補が2つあったら、どっちもそれなりに褒めたり、条件分けしてくる)きます。好みも踏まえつつ、自分で選ぶしかないのです

以上が現時点での創作サイクルになります。最近は①の段階でフレーズ単位というよりも、ちゃんと五七五の形式(と言ってもふんわりとした内容)で投げかける機会も増えてきたので、進歩しているということなのでしょうか?

AIを活用しているとはいえ、AIに全てを委ねているわけではありません。アナログな手法、例えば歳時記や他の句集を手元に置き、自分の句と比べたり、確認することも欠かせないものです。特に、AIが提示する季語はあやふやなケースがあり、歳時記で本来の意味や使用例を調べることも多々あります。現時点では、AIが提示しても歳時記に掲載されていない季語は拙句には使用していません。もっと分厚い歳時記を調べれば出てくるかもですが。

さて、「創作とAI」というテーマは場合によってはセンシティブであり、そもそも触れることすら悪であるという意見も一理あると思っています。その一方で、生成AIが有する情報の整理や時間の圧縮という強みは、創作においてこんなに役立つのか! ということを自分自身は身を持って感じています。今まで俳句を詠んだことがない自分が3ヶ月で20以上の句を生み出せたのです。そして、AIとやり取りをしながら推敲することは、ただただ単純に「楽しい」ことなのです。

また、AIに色々な俳句を投げかけているからこそ、「AIが詠めない・再現できない俳句とは何だろう?」と考えるようになりました。変な話ですが「この季語を使って20句俳句を詠んでみて」という質問を投げれば、数分以内に生成AIは用意してくれます。しかし、それは学習された誰かの俳句がベースになっており、自分自身の実感や経験、あるいは思考や哲学は反映されていないのです。そして、このような実在する体験や心情、思考を用いて取り組むということは、AIを用いていてもいなくても、変わらない本質なのではないでしょうか。

なので、現時点での自分の結論としては「AIと仲良く俳句をつくっていきたい」ということになります。かつ、「AIに負けない俳句を詠みたい」というよりも、「AIとは切り離された世界で俳句を詠みたい」という思いでいるのです。ということで、わーわー言う前に、まずは句集をつくるためにもう少し頑張っていきましょう……

@waratas
ワラサン出版社の和良拓馬です。よく出没する場所:神宮球場、秩父宮ラグビー場、三ツ沢球技場、ギオンスタジアム、東京競馬場、大井競馬場、よしもと有楽町シアター、横浜駅からみなとみらい間など。そんな森羅万象への小ボケと職場への嘆きを呟く社会人13年目です