時々、思い出したようにストレッチをする時期がある。はるか昔の学生時代の頃を思い返しながら体を前後左右に曲げていると、驚くほどに体が固くなっていることに気がつく。
肩も腰も可動域が狭くなっているのだ。ちょっと深く曲げたり伸ばしたりしようものなら、「あいたたた……」となる始末。
そんな時、つくづくと人間の体は何かのデータのように状態を保存しておくことはできないなと思う。セーブポイントなどどこにもないのだ。もし現状を維持しておこうと思うのならば、常に動かし続けていなければいけない。わたしたちはマグロのように泳ぎ続けなければいけないのだ。スイム・オア・ダイ。
とはいえ加齢で年々脆くなっていくのが人である。暦が進めばそれだけ衰える。それに問題は肉体だけの話ではない。精神だってそうだ。
自身の喜怒哀楽の感情を見失うと、他者の感情を受けとめることができなくなる。読み取ることはできるのだ。だがその感情を理解することが困難になり、共感を示すことができない。やがて他者の情緒への興味すら失うだろう。
畢竟、精神の柔軟性というのは他者への興味という尺度で測れるのではないだろうか。
……などと話がガチガチになってきたところでストレッチを切り上げようと思う。あまり伸ばしすぎるのも筋を痛めてよくない。