そういえば、近頃は忘れることについて考えてないなと、ナナカマドの写真を見て思った。忘却って、自分の萌えの大テーマの一つなのに。
忘れる、忘れられることについて一度吐き出しておこうと思う。思ったんだけど、書いたらほぼマギロギと自分の創作キャラの話になってしまった。まあいいか。
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まず、ナナカマドというのは赤い葉が綺麗な木の名前。七度窯に入れても燃え残るくらい燃えにくい性質ということから名前が付いているらしい。
ナナカマドの名を付けたことに特に意味はなかったが、昔、マギカロギアで七竃緋灯(ナナカマドアケヒ)という名前のキャラクターを作って、そいつがメインキャラのシナリオを書いたことがあった。それをナナカマドの写真を見て思い出したんだ。
マギカロギアについて説明しておく。魔道書大戦マギカロギア(通称マギロギ)は、TRPGのシステムの一つだ。TRPGの説明は省く。ジャンルは、ざっくりでいうと現代異能モノ。我々の住む世界に、実は魔法使いという人間とは別の存在がいて、彼らは風を吹かせたり雨を降らせたり、人の願いを叶えることができる。マギカロギアでは、プレイヤーは魔法使いになって、悪い魔法使いや、災厄を撒き散らしてる『禁書』(自我を持った悪い魔道書)と戦うことになる。そういうゲーム。
私がマギロギの世界観の中で大好きな点に、「魔法使いは消滅(※1)すると存在ごと世界から消える」というのがある。消滅すると、だんだんと皆の記憶からその人が消える。名簿の名前や、暮らした跡なども消えるか、あるいは、誰からも認識されなくなる。それに加え、マギロギの魔法使いには「魔法使いは消滅するとき、禁書に転化することがある(※2)」という、まどマギ的な設定もあった。これらに萌えまくった私は七竃緋灯というキャラクターと、「残火を探して」というシナリオに萌えを詰めた。
七竃は、かつて亡くした友人の魔法使いを忘れないために、自身の魔道書に絶えずその人のことを書き続けているというキャラクターだ。忘却という世界のシステムに抗うために書き続ける。記憶が薄れ、自身で書いたものを元に上書きしていくうちに、その人物像はやがて元の友人とかけ離れていく。そのことに気づくこともできない。しかし、書く。
シナリオ「残火を探して」では、冒頭、七竃緋灯は既に消滅している。亡くした友人の恋人と諍いになり敗れたのだ。しかし消滅の瞬間、七竃は抱いていた執念のせいで、自身の魔道書、そして友人を殺した魔道書をも呑み込んで禁書と化す。七竃緋灯は世界から消え、禁書が町をうろつき、忘却の雪という形で災厄をもたらす。
やっと本題。私の忘却についての思いは二面ある。
まずは単に、大切な人を忘れてしまうというシチュエーションに、切ない!エモい!という萌えがある。忘却というどうしようもない仕組みに淘汰されてしまうやるせなさが好きだ。そういえば、覚えている限りで生まれて初めて好きになった歌はレミオロメンの「粉雪」だった。趣味変わってないな。
それと別に、私は昔から、忘れられることに強い憧れがある(※3)。いつでも誰からも忘れられたい。私のいないとき、いない場所で、たとえ好意的な感情を伴うものであっても、なるべく私のことを思い出されたくない。そういう思想が子供の頃からある。
忘れられることは救いだ。私にとっては、眠ることでいっとき全てから逃れられるのと同じような感覚で、忘れられることも逃避手段の一つなんだと思う。逃げたい、いなくなりたい、忘れ去られたい。
だから、マギカロギアの魔法使いに憧れた。最初からそこにいなかったかのように去ることができたら、そんな都合のいい選択肢があったならよかったのに。あーあ。魔法使いになりたい。
残火を探してのトレーラーとマップ画像。
※1 魔法使いは「死」んでも復活が可能。ゲームシステム的には、復活判定に成功すればそのままゲームを続行できる。ダイスの出目が悪ければ「消滅」してキャラクターロスト。
※2 これには、魔法使いも魔道書も禁書も本質的には情報生命体であり、そもそもが同じ存在で名付けが違うだけなのだ、という設定も絡んでいる。私は言葉が命をもつという物語が好きらしい。例えばアニメ版屍者の帝国が好きです。原作は積んでる。
※3 私自身と私の書いたものは違う位置づけにあり、書いたものをインターネットに残しておくのには抵抗はない。